東京都清瀬市の警視庁東村山署旭が丘派出所(現・交番)で、1992年に警察官が殺害され拳銃を奪われた事件は、殺人罪の公訴時効撤廃の3年前に起きていたため、発生から15年後の2007年2月14日午前零時に時効を迎えた。
【写真を見る】奪われた拳銃の写真も…事件を伝える当時の新聞記事
実はこの事件には病死した重要参考人がいたが、公表されることはなかった。同様に時効を迎えた警察庁長官狙撃事件(95年3月発生)は、オウム真理教の犯行と決めつける発表を行いながら、なぜ警察官殺害の捜査結果は明かされることなく、ひっそりと幕が下ろされたのだろうか。
極秘捜査の専従チーム
事件は1992年2月14日、午前3時15分頃に起きた。
埼玉県との都県境にある、東京都清瀬市の旭が丘2丁目にある交番奥の待機室で、勤務中だった東村山署警ら課(現・地域課)警ら第3係の大越晴美巡査長(当時42=殉職後警部補に昇進)が血だらけで倒れているのを新聞配達に来た男性が見つけ110番通報したのである。
大越巡査長は1時間後に収容先の病院で出血多量のため死亡した。左首筋と左胸を刃物で刺され、所持していた実弾5発入りの38口径回転式拳銃が、つり紐を切断され革製のホルダーごと奪われていた。警視庁捜査1課は強盗殺人事件として同署に特別捜査本部を設置する。交番の机上には、地理案内のためのファイルや清瀬市内の住所録が置かれており、住所録は閉じられていたものの、ページには大越巡査長の血痕がついていたため、犯人は道をたずねるふりをして、住所録を開こうとした同巡査長を油断させたとみて捜査を進めた。
警察官の拳銃が第2の犯行に使用されれば、警察の威信が根底から揺らぐ可能性もあることなどから、時効を迎えるまでの間、投入された捜査員は延べ13万8000人に及ぶ。警視庁は八王子スーパー強盗殺人事件(95年)や、世田谷一家4人強盗殺人事件(2000年)と並ぶ「3大重要未解決事件」の1つと位置付けて重点捜査を展開した。
犯行直前の目撃情報から、身長約175センチで黒っぽいジャンパーを着た人物の行方を追った。だが、犯人逮捕が墓前に報告されることはなかった――というのが、表立った顛末である。しかし、警視庁の元幹部は「同僚から、後に聞いた話」と前置きした上で、こう語る。
「実は寺尾さんの指示でソウイチ(捜査1課)では、特捜本部とは別にPM(警察官)殺しの極秘捜査チームを編成し、東村山署とは別の場所に拠点を設けてある男について調べていたそうなんです」
「寺尾さん」とは「ミスター1課長」の異名を取った故・寺尾正大氏。警視庁の中でも精鋭中の精鋭の刑事たちを集めた捜査1課きっての“名指揮官”だ。
寺尾氏は新潟大を卒業後、会社勤務を経て警視庁入り。捜査1課で係長、管理官、ナンバー2の理事官として「死体なき殺人」と呼ばれた無尽蔵事件やトリカブト事件、ロス疑惑といった難事件の捜査を主導した。1993年9月に光が丘署長から、1課長への最終ステップとなる鑑識課長に異動。95年2月、1課長に就任して一連のオウム真理教事件の捜査を指揮し、全面解決へと漕ぎ着けた。






