聴覚に障害を持つアスリートの祭典、デフリンピックが日本で初めて開催され、世界中からの注目が集まっています。その中でも、日本デフ卓球界のエースとして、ひときわ輝きを放つ選手がいます。中学1年生でデフリンピックの存在を知り、人生の目標として掲げてきた亀澤理穂選手(35)です。これまでに4大会に出場し、計8個のメダルを獲得してきた彼女は、記念すべき自国開催となる「東京2025デフリンピック」で初の金メダル獲得への期待を背負っています。本記事では、亀澤選手の卓球との出会い、そして彼女を支える家族の絆に迫ります。
聴覚障害と卓球との出会い
「デフ」とは英語で「聞こえない」を意味し、デフリンピックは聴覚障害を持つ選手のためのオリンピックです。4年に一度開催され、国際的な舞台でアスリートたちが競い合います。亀澤理穂選手は1歳の頃に重度難聴と診断され、身体障害者手帳2級が交付されています。聴力レベルは100デシベル以上と、パトカーのサイレンも判別できないほどですが、日々の努力によりある程度の発語も可能です。
彼女が卓球を始めたのは小学1年生の時でした。そして18歳で初めてデフリンピックに出場。2009年の台北大会以降、4大会連続で出場し、これまでに銀メダルや銅メダルを含む8個のメダルを獲得する輝かしい功績を残しています。
デフリンピックでの輝かしい功績と東京開催への期待
2025年11月15日から26日まで、東京では「第25回夏季デフリンピック競技大会 東京2025」が開催されています。これは100年のデフリンピックの歴史上、日本で初めての開催となる、まさに歴史的なスポーツの祭典です。全21競技が行われ、入場は無料です。
日本デフ卓球界のエースである亀澤選手は、この記念すべき自国開催の舞台で、悲願の金メダル獲得を期待されています。彼女のこれまでの努力と経験が、東京の地で最高の結果となって実を結ぶことを多くの人々が願っています。
理解を深めるための啓蒙イベントと手話でのコミュニケーション
7月19日、真夏日となった東京都のTAC杉並区永福体育館では、デフリンピックとデフスポーツへの理解を深めるための啓蒙イベントが開催されました。卓球だけでなく、サッカーやバレーボールなど、様々なデフスポーツの選手たちがデモンストストレーションを披露。亀澤選手も参加し、会場を盛り上げました。
イベント中、スタッフは手話を用いて開会を告げ、選手たちは整列しました。亀澤選手は自己紹介の際、口を動かしながら「今日は、楽しい時間を過ごせるよう、よろしくお願いします」と伝え、握った右手を顔の前で開く手話と共に頭を下げました。聴覚障害を持つ人々にとって、口の動きや手話を理解してもらう必要があり、「聞こえる人同士の会話より何倍も時間がかかるんです」と、彼女はコミュニケーションの難しさを語ります。デススポーツ選手たちのデモンストレーションを見た亀澤選手が笑顔で両手をひらひらと振った姿は、「拍手」の手話であり、彼女の感情を伝える大切な手段でした。
デフリンピック選手、亀澤理穂さんが生い立ちと家族への思いを語る
ママアスリートとしての挑戦と家族の絆
幼い頃からハンディキャップと共に歩んできた亀澤選手は、来年1月には7歳になる長女・結莉ちゃんを持つ一児の母でもあります。一時は競技生活から引退しましたが、再びデフリンピックを目指すことを決意。2022年からは住友電設に社員雇用され、ママアスリートとして競技を続けています。
亀澤家は卓球一家です。父である佐藤真二さん(62)は全日本卓球選手権大会で3位の実績を持ち、母・千里さん(63)も元卓球選手です。3歳年上の兄・勇希さん(38)がおり、理穂選手は2人きょうだいの妹です。父の実家は都内で文具店を営んでおり、一家はその近くで暮らしていました。
亀澤選手が生まれた当時を、母・千里さんはこう振り返ります。「夫は当時、協和発酵工業(現・協和キリン)の選手で出張ばかりでした。出産の日はたまたま家にいて、病院に来られました。理穂は3028グラム、身体計測も正常で、とても元気な赤ちゃんでした。」しかし、生後9カ月の頃、義理の父が「理穂が呼んでも振り向かない」と不思議そうに言ったことから、彼女の聴覚障害が判明したのです。家族の深い愛情と理解が、亀澤選手の今日の活躍を支える大きな力となっています。
亀澤理穂選手は、卓球への情熱とデフリンピックでの成功だけでなく、ママアスリートとして、また聴覚障害を持つ人々への理解を深める架け橋としても活躍しています。東京2025デフリンピックでの彼女の雄姿、そして日本代表の活躍にぜひご注目ください。




