批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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3回連続で高市早苗新総理の話をするとは思わなかった。しかし書かねばならない。
10月21日に高市総理が誕生した。憲政史上初の女性首相である。ジェンダー平等を訴えてきたリベラル派は歓迎するものと思われた。
ところが現実には批判が相次いだ。むろん政策の批判はいい。「素直に歓迎できない」との声も保守志向への戸惑いだと理解できる。しかし、就任翌週にトランプ米大統領が訪日したあとの罵詈雑言については全く理解できない。
他国の首脳を笑顔で迎えるのは当然だ。腕を取り、寄り添うこともあろう。ところがその社交に対し、リベラル派から理不尽な攻撃が相次いでいる。例えば元衆院議員で日本共産党の池内沙織氏は、米大統領を接待する総理の姿を「現地妻」に例えた。今ではほぼ使われない女性蔑視の表現だ。
権力批判に罵詈雑言はつきものとの考えもある。しかしこの10年で日本社会は大きく変わった。差別やハラスメントにみな敏感になった。
リベラル派の暴言は安倍政権時代に広がった。「アベ死ね」といった罵倒がメディアに溢れた。筆者は当時からその風潮に批判的だった。それでも百歩譲るならば、安倍元首相は男性で世襲議員。生まれながらの権力者として強い批判も許されたかもしれない。
しかし高市氏は違う。叩き上げで成功を掴んだ一般家庭出身の女性挑戦者だ。そんな彼女を罵倒しても、現在の有権者は暴力としか感じない。リベラル派は空気を読み違えている。
日本のフェミニズムを代表する上野千鶴子氏は、高市氏は男性に過剰同一化しており、必ずしも女性の利害を代表しないと述べる。確かにその側面はあろう。しかし他方で新内閣の支持率が記録的に高く、世代に関わらず女性の支持が多いことも事実だ。その現実にも目を向けるべきだ。
ついに日本でも女性総理が誕生した。それなのにあの女は本質的には男だと理屈を立て、醜い言葉で罵倒し続ける。筆者は高市氏のイデオロギーを支持しない。しかし、こんな理不尽な批判を続けていたらリベラル派は本当に滅びると思う。
※AERA2025年11月17日号
東浩紀






