吉田恵里香氏の「社会と無関係のエンタメはダサい」発言が炎上:真意と背景を考察

脚本家・吉田恵里香氏が、11月23日放送の『情熱大陸』(MBS/TBS系)に出演した際の発言が、番組の公式X(旧Twitter)での投稿をきっかけに大きな炎上を巻き起こしました。この発言は「社会と無関係のエンタメはダサい」というもので、投稿直後からインターネット上で賛否両論が飛び交い、議論の的となっています。一部からは「社会派気取り」といった批判が寄せられる一方で、「共感できる」「かっこいい」と擁護する声も上がっています。

本記事では、この炎上の背景、吉田氏の真意、そしてXの投稿における「切り取り方」の問題点について深く考察します。吉田氏は2022年に『恋せぬふたり』で向田邦子賞を受賞し、最近では連続テレビ小説『虎に翼』(NHK総合)で脚本を手がけ大ヒットを記録するなど、その実力は高く評価されています。

「社会と無関係のエンタメはダサい」発言の経緯と反響

『情熱大陸』のX公式アカウントによる「社会と無関係のエンタメはダサい」という投稿は、瞬く間に多数の反応を呼びました。この発言に対し、Xでは「社会性を持ち出さないと同業者のエンタメの悪口も言えないのか」「いちいち社会派気取りでイキっている意識高い系の方がダサい」といった批判が相次ぎました。特に「意識高い系」という言葉は、しばしば否定的な文脈で使われることが多く、吉田氏への反発を強める要因となりました。

一方で、番組を視聴した人々からは「言葉にできないモヤモヤを言葉にしてもらった」「嫌なものは嫌と言える姿勢がかっこよかった」など、称賛の声も多く寄せられています。この対立する意見は、エンターテインメントが社会とどうあるべきかという普遍的な問いを改めて浮き彫りにしました。この発言は、単なる一脚本家の意見としてではなく、広く社会的な議論を巻き起こすものとして注目されています。
脚本家・吉田恵里香氏脚本家・吉田恵里香氏

番組内での吉田氏の発言:その詳細と文脈

実際に『情熱大陸』の番組内で吉田恵里香氏が発言した内容は、Xの投稿とは若干異なるニュアンスを含んでいました。吉田氏の具体的な言葉は以下の通りです。「自分の中で、『今これを書いたほうがいい』って思う気持ちに、正直になる。これでアンチが増えるなとか、賛否が湧くなと思っても、今ここで書くことに意味がある。エンターテインメントだからって、社会と繋がってないとか、エンターテイメントだから社会問題とは無関係ですってのは、ダサいなと思ってるので」。

この発言をXの投稿「社会と無関係のエンタメはダサい」と比較すると、言葉の前後関係が逆になっていることが分かります。Xの投稿は「社会と無関係のエンタメはダサい」と断定的に聞こえるのに対し、番組内の発言は「エンターテイメントだから社会問題とは無関係ですってのは、ダサいと思っている」と、社会問題から意図的に距離を置こうとする「姿勢」を批判しているように受け取れます。また、Xの投稿画像では吉田氏がパソコンを膝に乗せ執筆中に発言しているような印象を与えましたが、実際の番組内では車内で話しているシーンでした。このような「切り取り方」が、発言の真意を誤解させる一因となった可能性が高いでしょう。

吉田氏の発言の真意と「不必要に攻撃的な言葉」の危うさ

筆者個人の解釈としては、吉田氏の発言は、他作品への直接的な批判というよりも、むしろ「脚本家である自分自身」の創作姿勢に向けられた言葉であると捉えられます。彼女は、たとえ賛否を呼ぼうとも、批判されようとも「社会性とエンタメを繋げる」という自身の作家性を誇示し、その信念を貫くプライドを語っていたのではないでしょうか。社会問題とエンターテインメントを切り離そうとする姿勢は、自身の創作哲学に反するという強い意思表明と解釈できます。

しかしながら、吉田氏の言葉選びには、以前のトークイベントでの発言が騒動になった際と同様の「不必要に攻撃的な言葉」の危うさが垣間見えます。例えば、「ダサい」という言葉は、受け手によっては非常に強い否定的な感情を抱かせかねません。自身の信念を語る上で、このような言葉を使用することが、意図せず誤解を招き、不要な反発を生む原因となる可能性は否定できません。表現の強さが、真意とは異なる形で受け取られ、結果的に炎上を加速させる要因となったとも考えられます。
大ヒットした連続テレビ小説『虎に翼』のビジュアル大ヒットした連続テレビ小説『虎に翼』のビジュアル

結論

吉田恵里香氏の「社会と無関係のエンタメはダサい」という発言を巡る今回の炎上は、Xでの投稿における言葉の「切り取り方」が大きな要因であったと考察されます。番組内で彼女が語ったのは、自身のクリエイターとしての倫理観や、社会問題から目を背けずにエンタメを創造していくという強い決意を示すものでした。これは、単に他作品を貶める意図ではなく、自身の創作姿勢を明確にするためのものであったと解釈するのが妥当でしょう。

一方で、彼女が用いた「ダサい」というような表現には、以前から指摘されてきた「不必要に攻撃的な言葉」という側面があり、これが発言の真意とは異なる形で受け取られ、反発を招いた一因となったことも事実です。今回の騒動は、エンターテインメントと社会問題の関わり方、そしてSNS時代における情報発信の難しさ、言葉の解釈の多様性について、改めて深く考えるきっかけを与えてくれました。