能登半島地震から2年:輪島市の「いま」と復興への道のり

2024年1月1日に発生した能登半島地震により壊滅的な被害を受けた石川県輪島市の中心街は、2年が経過した今もなお、見渡す限りの雑草と枯れ草に覆われています。かつて商店が軒を連ね、家々が建ち並び、漫画家・永井豪さんの記念館やNHK連続テレビ小説「まれ」の記念館があった面影はなく、1000年以上の歴史を誇る「輪島朝市」もその場を失いました。しかし、被災地の時間はゆっくりと動き出しており、ようやく建築物の公費解体が終盤を迎えようとしている段階です。この先の復興の道のりは依然として不透明であり、被災者たちは未来への模索を続けています。

輪島市の現状:進まぬ復旧と住民の苦悩

大火に見舞われた輪島市の中心部は、焼き尽くされた後に更地となり、今では地面が見えないほどの雑草に覆われる光景が広がっています。かつての賑わいは影を潜め、多くの住民が故郷を離れざるを得ない状況です。震災から2年が経過した現在でも、能登半島全体で損壊した建築物の公費解体がようやく完了に近づいているに過ぎません。これから本格的なまちづくりが始まる段階であり、被災した住民たちは大きな不安を抱えています。

こうした中、焼失地域の住民が再建を話し合うために「本町周辺地区まちづくり協議会」が結成されました。その代表を務める日吉智さん(51歳)は、輪島市の未来に深く関わる一人です。

あの日の記憶:日吉智さんの体験

日吉さんは1912(大正元)年創業の日吉酒造店の5代目杜氏として、伝統の酒「金瓢白駒」を守り続けてきました。震災当日、日吉さんは妻と幼稚園に通う長男と3人で初詣に出かけていました。元日は酒造も店も休みであり、日吉さんは午前中に発酵タンクの温度管理などを終え、家族と車で外出していたのです。

能登半島では2020年12月から珠洲市を中心に群発地震が発生しており、この日の最初の揺れ(震源は珠洲市で震度5強、輪島市中心部は震度4)にも「珠洲は大変だな」という程度の感覚だったと日吉さんは語ります。しかし、「気になるのでひとまず帰ろう」と酒蔵兼自宅に戻った直後、激しい揺れに襲われました。最初の揺れからわずか4分後の午後4時10分のことです。

隣にいた長男は吹き飛ばされ、後ろからは妻の悲鳴が聞こえました。日吉さん自身も立っていられず、膝まずいて長男を覆い隠しました。「地面がぐるんぐるん回っているようでした」と当時の恐怖を振り返ります。彼の目の前で、四つあった酒蔵の一つがぺしゃんこに潰れました。幸いにも、店舗部分は持ちこたえ、70代の両親にも怪我はありませんでした。しかし、その瞬間、日吉さんの生活と輪島市の日常は一変したのです。

能登半島地震により金沢へ避難中の日吉智さん。輪島市の復興について語る。能登半島地震により金沢へ避難中の日吉智さん。輪島市の復興について語る。

復興への長い道のり

日吉さんのような被災者の経験は、能登半島地震の甚大な被害を物語っています。輪島市、特に中心市街地の復興はまだ緒に就いたばかりであり、住民たちは長期にわたる困難に直面しています。行政による公費解体が進む一方で、新しいまちづくりの具体的な姿はこれから議論され、形成されていく段階です。地域の歴史と文化を守りつつ、持続可能な未来を築くためには、多くの時間と支援が必要とされています。輪島市の「いま」は、日本の災害復興が抱える課題を浮き彫りにしています。