2025年3月1日、昭和から平成にかけてテレビ界を席巻した名司会者、みのもんた氏(本名・御法川法男)が80歳でこの世を去りました。その晩年は、テレビの第一線で活躍した華々しいキャリアとは対照的に、深い悲しみと孤独が交錯するものでした。この記事では、偉大な功績の裏に隠された彼の私生活、特に晩年を過ごした鎌倉の大豪邸での日々、そして彼を襲った幾つもの試練に焦点を当てます。
鎌倉の大豪邸:愛妻と築いた終の棲家
みのもんた氏が晩年を過ごしたのは、神奈川県鎌倉市に佇む広大な大豪邸でした。約3000坪の敷地に、延べ床面積240坪を誇るこの邸宅は、まさに彼の全盛期の栄華を象徴するかのようです。報道によると、広大な土地の取得費用を含め、建設にはおよそ17億円もの巨費が投じられました。静かでプライバシーが保たれた住環境を確保するため、隣接する山林までも購入したといわれています。
晩年の笑顔を見せるみのもんた氏
2000年代、みのもんた氏はテレビ界の絶頂期にあり、年間のギャラ総額が30億円を超えた年もあったとされています。彼がここまで惜しみなく私財を投じた背景には、深く愛した奥様と穏やかな老後を過ごすための「終の棲家」を築きたいという強い思いがあったと、芸能記者は語っています。この豪邸は、夫妻の夢と愛情が詰まった結晶でした。
相次ぐ悲劇:愛妻の死と次男の逮捕
しかし、この豪邸が完成したわずか3年後の2012年、みのもんた氏は最愛の妻を皮膚がんで失うという悲劇に見舞われます。妻の死は彼に深い悲しみをもたらし、その翌年には、次男が窃盗未遂容疑で警視庁に逮捕されるというさらなる苦難が彼を襲いました。
次男逮捕の2日後、みのもんた氏は自宅前で報道陣に対応し、番組出演の自粛を発表しました。その際、彼は目に涙を浮かべながら、明智光秀の三女、細川ガラシャの辞世の句「散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ」を引用し、複雑な心境を吐露しました。当初は報道番組2本の自粛を決定しましたが、バラエティー番組の出演は継続するとの判断が世間から批判を浴び、結果的に1カ月後には全ての報道番組を降板することとなりました。これらの出来事は、みのもんた氏の人生に大きな影を落とすことになります。
夫婦の面影残る20以上の部屋
その後も、みのもんた氏は広大な邸宅に独りで住み続けました。彼を訪れた知人によれば、豪邸のそこかしこからは、かつて仲睦まじかった夫婦の暮らしぶりが偲ばれる造りになっていたといいます。地下1階、地上2階からなる建物の中には、20以上の部屋がありました。
多くの部屋は洋室でしたが、1階のリビングの隣には囲炉裏が備え付けられた板の間の和室があり、地下には茶室のような空間が設けられるなど、随所に和の様式が取り入れられていました。みのもんた氏は年を重ねてから、囲炉裏を囲んで奥様とお酒を酌み交わすのを何よりの楽しみにしていたそうです。他にも様々な用途の部屋がありました。2階には天窓付きの衣装専門の部屋があり、専属スタイリストだった奥様が自然光の下で膨大な数の洋服や小物を吟味し、彼のテレビ出演時のコーディネートを細心の注意を払って決めていたといいます。多忙な夫婦を支えるため、日中滞在するお手伝いさんの部屋まで用意されていたことからも、その豪華さと夫妻の深い絆がうかがえます。
みのもんた氏の晩年は、かつての栄光と個人的な悲劇が入り混じった複雑なものでした。彼の豪邸は、成功の証であると同時に、愛する妻を失い、孤独を抱えながら生きた彼の人生の舞台でもあったのです。彼は、テレビ界にその名を深く刻んだ偉大な司会者として、これからも多くの人々の記憶に残り続けるでしょう。
参考文献:
- 週刊新潮 2025年5月1・8日号 ()
- Yahoo!ニュース (記事内情報源)





