【日航破綻10年】(下)当初から会社更生法適用を意識

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【日航破綻10年】(下)当初から会社更生法適用を意識
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 「当初から会社更生法を適用させるべきだと考えていた」

 国土交通副大臣として平成21年10月に政府が立ち上げた日本航空再建対策本部の事務局長に就任し、奔走した辻元清美氏は当時を振り返ってこう語った。

 会社更生法適用による法的整理は債務が帳消しになることなどから金融機関を中心に反発が強かった。それでも辻元氏が大なたを振るうべきだとしたのは「会社や株主、銀行といった関係者全員が責任を取る必要がある」と考えたからだ。

 国交省では辻元氏と当時の宿利正史国交審議官、篠原康弘航空事業課長の「3人組」が中心となり枠組みを練った。「朝6時から3人でジュースで乾杯して気合を入れて業務に当たった」(辻元氏)という。

 ただ、迷いも大きかった。「(2001年に経営破綻した)スイス航空が運航できなくなったことの二の舞いは避けるべきだ」との考えも踏まえる必要があったからだ。日航が運航停止となれば日本経済の信用が落ちる。地方の足を失うことへの影響も懸念された。

 曲折の末、日航は最終的には平成22年1月19日に会社更生法の適用を申請。一方、その後も企業再生支援機構の支援を受け、事実上の政府管理下で運航を継続することも決まった。

 法的整理と運航継続の両立に加え、誰に経営をまかせるかも再建のカギだった。会長職は京セラ名誉会長の稲盛和夫氏(現日航名誉顧問)が就任したが、打診段階では「3度は断られた」(関係者)という。しかしそれだけの期待をかけられた稲盛氏の手腕は確かだった。

 稲盛氏は航空業界に携わったことはなかったが、就任早々、当時の経営陣を「八百屋の経営もできない」と批判。各部門に毎月、予算と実績を発表させる部門別会計を徹底させた。日航社内で再建に携わった関係者は「社内に緊張感が張り詰めていた。『なぜこんな数字になるんだ』とかなり数字にこだわり、激しく問い詰める場面もあった」と存在感を振り返る。

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