スマホ用も医療用も 日本一の綿棒メーカーの底力

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 耳掃除やメークなどで何げなく使われる日常用品の綿棒が、工業用、手術用と用途を広げている。技術革新を続けているのは半世紀以上にわたって綿棒を作り続ける、大阪府富田林市に本社を置く「山洋」だ。品ぞろえは400種類以上、トップメーカーとして国内シェアの半分近くを占める。「たかが綿棒、されど綿棒」。革新の理由には倒産の危機や先行メーカーの存在をはねのける逆転の発想があった。  (大島直之)

つまようじの技術を流用

 年間30億本。同市内の企業団地にある山洋の本社工場で生産している綿棒の数だ。塵(ちり)やほこりが入らないよう厳重に管理された工場内には50もの製造ラインがある。紙の軸棒が流れ、ひも状の綿が細かく裁断されると綿菓子のように一瞬で素早く巻き取られていく。


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 ひとえに綿棒といっても赤ちゃん用のやさしい肌触りの綿棒や軸におみくじが書かれている遊び心あふれる綿棒、医療用綿棒など多様な品ぞろえ。営業部の上田智也課長は「清潔さや温湿度にも配慮し常に安定した高品質な製品作りを追求しています」と胸を張る。

 創業者は中谷洋会長の父親、文雄氏。岐阜県高山市でようじ生産を始めたが、事業の急拡大がたたり経営破綻したため、再起を図るために移ってきたのがようじの一大産地、大阪府河内長野市だった。

 中谷会長は「父はようじのとがっていない方に溝を掘ったこけしようじを生産したアイデアマンでした」と振り返る。さらに文雄氏は綿棒に着目。当時の綿棒は木の軸棒が使われており、木を削る技術が応用できるとひらめいたのだった。

後発メーカーの悩み

 他社が先行して国産綿棒を発売する中、中谷親子は「自分たちにはようじ生産で培った負けない技術力があり、高品質の綿棒が作れるはず」と信じて参入機会をうかがった。綿球の生産など少しずつ事業転換を図り、昭和50年に自社生産の第1号となる医療用綿棒を発売。やがて一般用綿棒の生産に乗り出し、55年に富田林市で山洋を設立した。

 後発メーカーが市場で顧客を獲得するには、これまでにはない価値のある商品が必要だった。そこで紙軸の片方を耳かき棒に似せた耳かき付き綿棒や、大手化粧品メーカーからの依頼で作った化粧用の先のとがった綿棒など新商品を次々と開発した。

 開発を支えるのは、オリジナルの技術だ。一般的な製法では軸の先を綿の布で包み込むような工程で作るが、山洋は綿を細かく裁断し、風で紙軸に巻き付ける。この製法が綿の形状や硬さを自由に変えることを可能にする。

 ただ、綿を細かく裁断すれば糸くずが落ちやすいというデメリットもある。中谷会長は「アイデアマンだった父は吸水性などの機能を落とさず、毛羽立ちも少ない高品質な綿棒を作るために、ずっと考え続けていました」と明かす。

世界最小の進化

 今、売り上げを伸ばしているのが、電子機器の製造工程で使われる工業用だ。会社全体の売り上げの約10%を占め、柱事業のひとつに成長した。

 ハードディスクの製造工程で出る油やほこりの除去や、カメラやスマートフォンのレンズ仕上げの清掃のために使われる。スポンジなどに比べコストが抑えられ、簡単に焼却処分できることから、今では多くの工場で綿棒が採用されている。先端の硬さや、糸くずを落とさない高品質が求められるといい、中谷会長は「独自の製造技術が生かされる」と話す。


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 今、山洋の綿棒は手術用の医療器具としても活躍している。大阪大学と共同開発した綿棒は、腹腔(ふくくう)鏡手術で臓器を押さえたり、持ち上げたりするために使われている。海外製の従来品では直径5ミリが限界とされていたが、山洋の微細な綿を巻き付ける技術が3ミリを可能にした。大阪大大学院医学系研究科の中島清一特任教授は「綿を成型する山洋の高度な技術に驚いた。直径が細くても糸くずを出さず、しっかり把持できる機能を満たし、医療現場でも活用が広がるだろう」と話す。

 綿棒市場をアイデアや技術力により、切り開いてきた山洋。中谷会長は「綿棒作り50年でその奥深さを実感している。常に自社しかできないもの、世の中にないものを作ってきた自負がある。まだまだ顧客の望む新しい機能を持った商品を作っていきたい」とさらなる綿棒の進化を見据えている。

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