「まさか、『ひかり八号』なんじゃないか」
【写真】「ひかり八号」(1988年5月撮影)
4月下旬、広島県に住む元船員の高齢男性は、北海道・知床の海で消息を絶った観光船「KAZU I(カズワン)」のニュース画像に、目がくぎ付けになった。
窓の位置、船首の下の特徴的な形……。穏やかな瀬戸内海でほぼ毎日、目にしていた高速船とそっくりだった。
「あの船が外海で使われていたなんて」と驚きを隠さない。
小型船舶登録原簿や複数の関係者の証言などによると、カズワンは1985年2月に山口市の造船所で造られ、広島県の三原市と尾道市生口島(いくちじま)を約30分で結ぶ定期高速船として使われていた。
本四連絡橋「しまなみ海道」がまだ開通していない時代。「西の日光東照宮」とも呼ばれる同島の耕三寺(こうさんじ)を訪れる観光客目当てに、同じ航路で3社がしのぎを削っていた。そのうちの1社がエンジン2機を備えた高速船を新造。「ひかり八号」と名付けられたその船が、後のカズワンだ。
「ひかり八号」で船員を務めていた同県の男性は「スピードがよく出る立派な船だった」と懐かしむ。ただ、当時は景気が良く、客を獲得するため、就航する船は航行時間を短縮できる軽くて速い新造船に2年ほどで入れ替わっていた。
船の更新に伴い、カズワンは90年代に岡山県の客船会社に売られていったが、同県内の定期航路はわずか数年で廃止された。大阪市の個人所有を経て、再び売りに出されたカズワンを2005年10月に買い取ったのが、知床遊覧船だった。
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波立つことの少ない穏やかな海を高速で走るために造られた船は、なぜ波浪注意報が出ることも多い北の海へとやってくることになったのか。
06年4月に同社が北海道運輸局に提出した「旅客不定期航路事業の事業計画変更認可申請書」に、購入の動機が記されている。
「知床半島が世界遺産に登録されて観光客が急増し、乗船客も増加し、その対応に追われました。新たにカズワンを航路事業に加え、地元大型ホテル、旅行会社等の要望にこたえる目的で変更に及んだ次第です」