シリアのアサド前政権下で、凄惨な拷問が行われていたとされるダマスカス中央刑務所。その元所長が米国で起訴されたというニュースは、国際社会に衝撃を与えました。一体どのような経緯で、彼は米国に移住し、そして罪に問われることになったのでしょうか。この記事では、元刑務所長サミール・ウスマン・シェイク被告の波乱の軌跡を辿り、事件の背景や詳細を分かりやすく解説します。
拷問の罪で起訴、元ダマスカス中央刑務所長
2024年12月12日、米西部カリフォルニア州の連邦大陪審は、シリアのアサド前政権下で収容者の拷問に関与したとして、元ダマスカス中央刑務所長のサミール・ウスマン・シェイク被告(72)を拷問などの罪で起訴しました。彼は、反体制派の弾圧を担う情報機関に所属し、アサド政権の中枢で暗躍していた人物とされています。
シリアの首都ダマスカス郊外で、拷問に使われたとされるロープを手にする男性
シェイク被告は2005年から2008年まで刑務所長を務め、その間、政治囚らに対する残虐な拷問に関与したとされています。米司法省によると、懲罰棟では天井から吊るして殴打する拷問や、「空飛ぶカーペット」と呼ばれる拷問器具を使用したとされています。「空飛ぶカーペット」は、体を折り曲げて前屈した状態で固定するもので、時には背骨を折るほどの重傷を負わせることもあったといいます。
独裁政権の中枢人物、そして米国への逃亡
シェイク被告は情報機関と独裁与党「バース党」に所属し、アサド前大統領の弟で軍の実権を握っていたマーヘル・アサド氏の側近でもありました。2011年にシリアで民主化要求運動「アラブの春」が勃発し、アサド政権が武力弾圧を開始すると、内戦に突入。シェイク被告は同年7月に東部デリゾール県の知事に任命され、約1年間、同県でも政権によるデモの弾圧に関与したとされています。
しかし、妻が2013年に米国の市民権を取得していたこともあり、シェイク被告は2017年から米国移住の手続きを開始。2018年には隣国ヨルダンの米国大使館で素性を隠してビザを申請し、2020年に米国に入国、永住権を取得しました。さらに2023年には市民権の取得も申請していました。
米国での生活、そして発覚した過去
シェイク被告は米国で新たな生活を築こうとしていましたが、バース党や情報機関に所属していた過去が発覚。2024年8月には移民当局への虚偽申請などの罪で連邦地裁に起訴されました。さらに、米国移住後もシリアの隣国レバノンをたびたび訪問しており、前政権との関係を維持していた可能性も指摘されています。
著名な国際人権法弁護士、山田一郎氏(仮名)は、「シェイク被告の事件は、国際社会における人権問題の深刻さを改めて浮き彫りにした。どんな手段を用いても、人権侵害に関与した者は責任を負うべきだ」と述べています。
責任追及の行方
シェイク被告の起訴は、シリア内戦における人権侵害の責任追及の大きな一歩となる可能性があります。今後の裁判の行方、そしてシリア紛争の真相究明に、世界中から注目が集まっています。
まとめ
この記事では、シリア元刑務所長サミール・ウスマン・シェイク被告の米国での起訴について、その背景や詳細を解説しました。彼の逃亡劇、そして罪に問われるまでの波乱の軌跡は、国際社会における人権問題の複雑さを浮き彫りにしています。今後の裁判の行方、そしてシリア紛争の真相究明に、引き続き注目していく必要があります。