事件や事故の遺族取材は、常に深い葛藤を伴います。胸が締め付けられるような思いを抱えながらも、事実を伝え、社会に問いかける意義を信じ、カメラを向け、質問を投げかけてきました。大切な人を失い涙する方、取材者に対して怒りをあらわにする方など、様々な感情に触れてきましたが、1999年に発生した名古屋市西区主婦殺害事件の遺族の方は、様子が異なりました。妻を殺害された夫が見せたのは、悲しみの涙ではなく、意外にも「笑顔」だったのです。事件発生からちょうど25年となる節目に、改めてこの未解決事件と遺族の思いに迫ります。
「解決が最も近い」と呼ばれた未解決事件の経緯
1999年11月13日、白昼の名古屋市西区にあるアパートで、当時32歳だった主婦の高羽奈美子さんが、2歳になる長男の目の前で何者かに刃物で刺され、命を奪われました。この名古屋市西区主婦殺害事件は、犯行直後に現場近くの公園で血の付いた手を洗う女の目撃証言があり、その似顔絵も作成されました。さらに、現場からは犯人のものと思われる血痕が見つかっており、DNA情報が得られる可能性がありました。これらの有力な証拠から、この事件は「解決が最も近い未解決事件」とさえ呼ばれたことがあります。
名古屋市西区主婦殺害事件で犠牲となった高羽奈美子さん(当時32歳)
しかし、事件発生から25年以上が経過した現在も、犯人像すら特定できておらず、残念ながら「迷宮入り事件」の一つに数えられています。事件からちょうど四半世紀を迎える2024年11月13日、私は事件現場となった名古屋市のアパートを訪れました。現場は名古屋駅から約4キロの距離に位置し、近くには大型ショッピングモールや公園があり、当時も今も、比較的住みやすい閑静な住宅街という印象を受けました。
夫・高羽悟さんが語る事件発生当日
事件について振り返り、「何の予兆も無かったんです」と語るのは、妻・奈美子さんを殺害された高羽悟さん(68)です。事件発生当日、悟さんは仕事中に同僚から電話で「奥さんが倒れていると連絡があった」と伝えられたといいます。
名古屋市西区主婦殺害事件から25年、取材に応じる夫・高羽悟さん
慌てて自宅へ急いで戻ると、奈美子さんが救急隊員に囲まれて倒れており、胸の下に大きな血だまりができていました。その光景を見た悟さんは、「人間はすごい血を吐くんだな」と、なぜか冷静に思ったそうです。事件の予兆が全く無かったため、当初、悟さんは妻が何らかの病気で突然倒れたのだと信じて疑いませんでした。
その後、自宅に到着したのは警察の鑑識でした。状況が飲み込めず、いても立ってもいられなかった悟さんが捜査員に声をかけると、「首を切られている」と告げられ、そこでようやく妻が事件に巻き込まれたのだと理解したといいます。その日の夜遅く、車の中で偶然耳にしたラジオのトップニュースは、自宅で起きた凄惨な殺人事件の速報でした。深い悲しみと混乱の中にいながらも、悟さんはその時、なぜか「落ち込んでいましたけど、きょうの日本は平和だったんだな」と、どこか遠い世界の出来事のように感じていたことを、今でも鮮明に覚えていると語りました。
事件後の苦悩:残されたものの整理
事件後、自宅の部屋の片付けを始めることができたのは、事件から1カ月以上が経過してからでした。床にこびりついた血痕を拭き取る作業に4日もの時間を費やしたといいます。しかし、奈美子さんが生前大切にしていたCDや本の整理には、どうしても手がつけられなかったそうです。妻の痕跡に触れることの辛さが、悟さんの心をさらに重くしました。
まとめ
名古屋市西区主婦殺害事件は、有力な証拠がありながらも未だ解決に至っていない「迷宮入り事件」として、25年間、多くの人々の記憶に残っています。特に、遺族である夫・高羽悟さんの筆舌に尽くしがたい苦悩と、事件発生直後に見せたという予想外の「笑顔」の背景にある複雑な心境は、事件の深い悲劇性を物語っています。25年という長い年月が流れましたが、事件の風化を防ぎ、一刻も早い解決が望まれます。