ついに最終回を迎えたドラマ『PJ ~航空救難団~』(テレビ朝日系)は、航空自衛隊の救難員、通称PJ(パラレスキュージャンパー)の育成を舞台にした、教官と訓練生たちの人間ドラマを描きました。派手な話題作ではなかったものの、視聴者からはそのリアルな描写と骨太なメッセージが高く評価されました。本稿では、このドラマ、特に最終回を通して見えてきた「航空自衛隊救難員」という職業の魅力と、彼らが持つべき「異常」とも言える覚悟と矜持について考察します。
航空自衛隊救難員PJ:常人離れした過酷な訓練と人命救助の現実
本作が最も説得力をもって描いたのは、航空自衛隊救難員(PJ)という職業の並外れた厳しさです。PJは、海上保安庁や山岳救助隊すら出動を躊躇するような極限状況下で活動する「人命救助の最後の砦」と呼ばれます。そのため、彼らに求められる訓練は想像を絶するものです。例えば、2日間で水2リットルのみという制限下で、30キロの重装備を背負いながら山中を捜索する山岳訓練など、常識では考えられない過酷さです。
ドラマ『PJ ~航空救難団~』最終回より、航空自衛隊救難員(PJ)を演じるキャスト陣が写る場面
ドラマでは、訓練生を演じる俳優陣の鬼気迫る表情や言動を通じて、その過酷さが痛いほどリアルに伝わってきました。物語が進むにつれて、彼らが物理的、精神的な限界を超え、“異常”とも言えるレベルに到達していく姿は圧巻です。本作は、航空自衛隊の全面協力を得て制作されており、そのおかげでリアリティが徹底的に追求されています。キャストの演技力に加え、自衛隊のサポートが、PJがいかに常人離れした職業であるかを鮮やかに描き出す成功要因となりました。彼らの「経験」と「専門性」が、ドラマに確かな「権威性」と「信頼性」を与えています。
肉体だけでなく「心」がPJを成す:最終回で浮き彫りになった「誰でも救う」矜持
最終回で特に印象的だったのは、PJという存在のさらなる、そしてある意味最も重要な「異常さ」が描かれた場面です。教官である宇佐美の娘・勇菜が、卒業論文の取材を終えて地元へ帰る前夜、訓練生たちと居酒屋で送別会を開くシーンです。
その場に居合わせた、やや軽薄な態度の若者グループが、訓練生たちにからかうように話しかけます。「自衛隊の人ですか?」「やばいとこ行くやつですよね?」「頑張ってください、でも戦争とかしないでね」と。訓練生たちは冷静に対応し、その場を収めようとしますが、勇菜は黙っていませんでした。
勇菜は若者たちに対し、きっぱりと言い放ちます。「もし私がPJだったら、あなたたちが災害に遭っても100パーセント見捨てますね」。そして、間髪入れずに続けます。「でも、この人たちは違う。どんな相手でも必ずあなたたちを救ってくれます。そのために、肉体や精神を極限まで追い込み、常識では考えられない訓練を受けているんです」と、強い口調で訓練生たちの覚悟と、あらゆる命を救うという「矜持」を訴えたのです。
勇菜の言葉は真実を突いています。心情的に見れば、災害時に目の前にいたとしても、軽薄な態度で接してきた若者たちを優先して助けたいと思う人は少ないかもしれません。しかし、PJは個人的な感情や好き嫌いを完全に排し、目の前の救助を必要とする命を救うために全力を尽くします。この、あらゆる差別なく人命を救うという判断基準そのものが、肉体的な過酷さとは異なる、精神的な意味での「異常さ」であり、PJの最も重要な「心」の部分であると気づかされます。
登場当初、過酷な訓練に対して懐疑的な見方さえしていた勇菜が、PJの訓練生たちと関わる中でその真の姿を理解し、彼らの覚悟と優しさを代弁するからこそ、その言葉には一層の重みがありました。PJは、単に肉体を鍛え上げれば務まる仕事ではなく、誰よりも深く優しい心を持たなければ決して全うできない仕事なのです。
このドラマは、航空自衛隊救難員PJという、あまり光が当てられてこなかった職業の厳しさだけでなく、彼らが人命救助にかける「心」の部分を丁寧に描くことで、視聴者に深い感動と共感を与えました。それはまさに、「有益なコンテンツ」として、この仕事の現実と尊さを広く伝えることに成功したと言えるでしょう。
Source: https://news.yahoo.co.jp/articles/d71b6cb0d85bdc12f604b7e954e7a255ae955113