350勝投手・米田哲也氏、万引き報道で露わになった「波瀾万丈マネー人生」の現実

プロ野球史上、伝説的な通算350勝という偉業を達成した元阪急ブレーブス他の投手、米田哲也氏(87)が、先般の万引き容疑での逮捕報道により世間の注目を集めました。この件で略式起訴され罰金命令を受けた米田氏が、事件当日の状況や、自身の長く波瀾万丈な「お金」を巡る人生について初めて語った内容が明らかになりました。

米田氏は取材に対し、名球会のキャップを被りながら「世間を騒がせて申し訳ない」と謝罪の言葉を述べました。事件は地元・兵庫県尼崎市内のスーパーで発生。買い物の際、財布に現金が足りないことに気づき、缶チューハイ2本(販売価格303円)をポケットに入れたままレジを通過してしまったといいます。「飲みたいほうにいって、棚に返せなかった」と当時の心境を明かしました。この行為により窃盗罪で略式起訴され、簡易裁判所から罰金20万円の略式命令が下されています。

350勝投手・米田哲也氏、万引き報道で露わになった「波瀾万丈マネー人生」の現実

罰金20万円の支払いについては、留置施設で一緒だった人物に借りたと説明。「出てから外で会って、無利子の借用書は書いた」と語り、現在の生活状況についても赤裸々に明かしました。現在、米田氏は家内と共に生活保護を受給しており、その金額は「2人で月に7万円ほど」とのこと。報道されていた約10年間の家賃滞納についても「うん、それは払っていない」と認め、貯金も「今はない」と断言しています。球界のレジェンドの厳しい経済状況が浮き彫りとなりました。

現役時代から引退後の経済的な変遷

米田氏は1956年にプロ入りし、輝かしい投手人生を送りました。しかし、現役時代の給与について「昔は給料も安かった。ボクは最高で(年俸)1580万円。成績を残しても“前例がない”と上げてくれなかった」と振り返り、プロ野球独自の年金制度が廃止されたことへの残念さも口にしています。

引退後のセカンドキャリアでも、経済的には大きな浮き沈みがありました。西宮市内でスナック「セナ350」を経営する傍ら、在阪放送局やフジテレビの『プロ野球ニュース』で野球解説者を務め、日刊スポーツの専属解説者だった時期は、収入が安定していました。「テレビのギャラが年1000万円、スポーツ紙が500万円」という高収入を得ていた時期もあったのです。

しかし、阪神(1985~86年)、オリックス(1992~93年)、近鉄(1995年)でコーチを務めた期間は解説者の仕事を離れざるを得ませんでした。コーチ職を辞めた後は「クビになると、再度は(解説者として)雇ってもらえないことがある」という球界の厳しさを語ります。そして、「60歳を超えた野球評論家の仕事はほとんどなくなる。厳しくなるんや」と、高齢になったことによる収入激減を訴えました。2000年には野球人として最高の栄誉である野球殿堂入りを果たし、出身地の米子市名誉市民としても表彰されるなど、野球人としては十分な満足を得たものの、それが直接的な収入には繋がらなかった現実があります。

栄光と困窮、レジェンドの晩年

プロ野球歴代2位となる通算350勝という金字塔を打ち立て、野球殿堂入りも果たした偉大な投手、米田哲也氏。その輝かしい功績とは裏腹に、晩年は経済的な困窮に直面し、今回の事件によってその厳しい現実が明るみに出ました。現役時代の年俸、解説者としての高収入、そして高齢による仕事の減少といった波瀾万丈の「マネー人生」は、プロスポーツ選手引退後のセカンドキャリアや経済的自立の難しさという社会的な側面も浮き彫りにしています。球史に残るレジェンドの「人生十五番勝負」に例えられるその遍歴は、私たちに多くの示唆を与えています。

出典:週刊ポスト / Yahoo!ニュース