エプスタインリストが暴く米国政治の裏側:トランプ氏と陰謀論のブーメラン効果

現在、米国民の最大の関心事の一つは、その内容が注目される「エプスタインリスト」の行方である。米国の著名な資産家ジェフリー・エプスタイン氏が、少女への性犯罪で有罪判決を受け、2019年8月に独房で死亡したことは、多くの陰謀説を引き起こした。その中でも特に、エプスタイン氏の顧客リストには王族、政治家、富豪、ハリウッドスターといったエリート層の名前が含まれており、彼らの口封じのために殺害されたという説が広まった。この他殺説、すなわち陰謀論については、独房内の映像記録が存在し、ほぼ自殺であると結論付けられているが、映像には60秒間の欠落部分があるという但し書きが付いている。

では、肝心の顧客リストはどこへ行ったのか。そもそもリストは実在するのか、司法当局はこれを押収しているのか。エプスタイン氏の仲介で買春行為を行っていた顧客のリスト公開を巡っては、ドナルド・トランプ前米大統領を熱狂的に支持する「MAGA(Make America Great Again)」運動の支持者たちと、パム・ボンディ司法長官の間で対立が先鋭化している。トランプ氏とエプスタイン氏は、1990年代から2000年代初頭にかけて親しい関係にあり、そのためエプスタイン氏の「顧客リスト」にトランプ氏の名前があるのかどうかに全米の注目が集まっている。本稿では、まずMAGA内で信じられている「闇の政府(Deep State)」という陰謀論の中核に焦点を当て、MAGAとエプスタイン氏問題の関係性を考察する。次に、エプスタイン氏の顧客リストに関するMAGAの声と最新の世論調査結果を紹介し、最後にトランプ氏がこの危機にどう対応しようとしているのかについて言及する。

エプスタイン事件と顧客リストの公開論争

ジェフリー・エプスタイン氏を巡る一連の事件は、その性的犯罪だけでなく、彼の死因や顧客リストの存在そのものが米国の世論を二分する大きな論点となっている。2019年8月の独房での突然の死は、多くの人々に「口封じ」のための他殺ではないかとの疑念を抱かせ、彼の顧客リストに著名人が多数含まれているという憶測を呼んだ。このリストの公開は、事件の真相解明と、性犯罪に関与したとされるエリート層への説明責任を求める声として、特に情報公開を重視する層から強く求められている。

2000年、フロリダ州マール・ア・ラゴで撮影されたドナルド・トランプ氏、メラニア夫人、ジェフリー・エプスタイン氏、ギレーヌ・マクスウェル氏。エプスタイン氏とトランプ氏の過去の交友関係を示す写真。2000年、フロリダ州マール・ア・ラゴで撮影されたドナルド・トランプ氏、メラニア夫人、ジェフリー・エプスタイン氏、ギレーヌ・マクスウェル氏。エプスタイン氏とトランプ氏の過去の交友関係を示す写真。

特に、ドナルド・トランプ氏とエプスタイン氏の長年の交友関係は、リスト公開を巡る議論にさらなる複雑さをもたらしている。トランプ氏は過去にエプスタイン氏のプライベートジェットを利用したり、フロリダ州パームビーチにある自身のリゾート施設「マール・ア・ラゴ」でエプスタイン氏を招いたりするなど、密接な関係が指摘されている。このような背景から、MAGA支持者を含む多くの人々が、リスト公開が遅れているのはトランプ政権の意向や、彼自身が関与している可能性を疑い始めているのだ。パム・ボンディ司法長官とMAGAの間でリスト公開に関する意見の相違が表面化しているのは、まさにこの疑念が根底にあるからに他ならない。

「闇の政府」陰謀論の逆襲

ドナルド・トランプ氏は2016年の米大統領選挙において、「闇の政府」が存在し、それが一般市民に都合の悪い情報を隠蔽・操作しているという物語りを積極的に喧伝し、MAGA支持者の心を強く掴んだ。この結果、彼らは自身に不利益なことや不都合な事態が生じた際、それを何らかの陰謀説に帰する傾向が強まり、政府に対する「透明性」の要求を一層強めることになった。トランプ氏はまた、「沼の水を抜け(Drain the Swamp)」というスローガンでMAGA支持者を煽り、エリート層を敵視する「反エリート」の姿勢を明確にして選挙戦を展開した。

筆者が2019年に南部フロリダ州オーランドで開催されたトランプ氏の集会に参加した際、ある白人労働者の男性と話す機会があった。彼は父親が20代で亡くなったため、その記憶があまりないと語った。父親はベトナム戦争に従軍していたという。筆者が戦死したのかと尋ねると、彼は「違う」と答え、さらにこう付け加えた。「父は帰国後、戦地で曝された枯葉剤が原因で死亡しました。政府はそれを隠蔽していたのです。これこそがまさに闇の政府です」。この労働者は「闇の政府」の存在を強く信じており、彼にとっての「闇の政府」とは、真実を国民から隠蔽する巨悪としての政府そのものを指していた。MAGAの中には、彼のように政府自体を「闇」と見なす者も少なくない。

このようにトランプ氏は、「闇の政府」と「沼」といった言葉を多用することで、エリート層を敵に回し、MAGA支持者たちを自身の味方につけ、彼らを巧みにコントロールしてきたのである。しかし、エプスタイン氏の「顧客リスト」に関しては、MAGA支持者たちがトランプ氏にとって都合の悪い反応を示している。彼らは政府とは別の「闇の政府」が、少女への性的犯罪に関与した有名人やエリートが載っているリストを隠していると信じており、トランプ政権に対してリストの公開を強く求めているのだ。2016年の米大統領選挙でトランプ氏がMAGA支持者たちに植え付けた「闇の政府」の陰謀論が、約10年の時を経て、まるでブーメランのようにトランプ氏自身に向けられている状況なのである。エプスタイン事件をきっかけに、トランプ氏こそが「闇の政府」そのものであり、陰謀論の発信源であると見なされる可能性は非常に高く、彼は今、この予期せぬ危機の対策を迫られている。

参考文献