吉川晃司が語る平和への願い:「被爆2世」としての使命と活動

日本の音楽界を牽引するアーティスト、吉川晃司氏は、自身の活動を通じて平和への強いメッセージを発信し続けています。これまでに音楽活動で得た収益約21億円を被災地の復興に寄付してきた吉川氏は、故郷・広島の小学生たちと共に「あの戦争」を振り返る授業を行い、楽曲制作に携わるなど、多岐にわたる平和活動に取り組んでいます。彼が今、改めて伝えたいのは、未来へと繋ぐ平和への確固たる願いです。

吉川晃司氏、平和への思いを語る吉川晃司氏、平和への思いを語る

「あの夏を忘れない」:未来への希望を紡ぐ歌

「幸せってなんだろう。その答えは、この手からきっとはじまる」──これは、吉川晃司氏が府中小学校の子どもたちと作詞した楽曲「あの夏を忘れない」の一節です。この歌は、広島の記憶を未来へ語り継ぐ象徴として、多くの人々の心に響いています。吉川氏の眼下には、被爆後の1950(昭和25)年から整備が進められ、1955(昭和30)年に完成した平和記念公園が広がります。公園内の原爆供養塔には、今なお身元の判明しない約7万柱もの遺骨が静かに眠っており、訪れる人々に平和の尊さを深く問いかけています。

吉川晃司氏が広島平和記念公園を見下ろす。平和への願いと「あの夏を忘れない」に込めたメッセージ吉川晃司氏が広島平和記念公園を見下ろす。平和への願いと「あの夏を忘れない」に込めたメッセージ

「被爆2世」としての原点:父から受け継いだ記憶

原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して開設された広島平和記念公園には、連日、世界各国から平和を願う人々が訪れます。しかし、この地がかつて広島市で一番の繁華街であった中島地区であったことを知る人は、意外にも少ないのが現状です。広島市出身で、平和への強い思いを抱く吉川晃司氏も、「平和公園の以前の姿が、東京でいえば渋谷や新宿のような賑やかな場所だったと知ったときは衝撃を受けた」と語っています。

吉川氏の祖父母が営んでいた「吉川旅館」は、川を挟んで原爆ドームの真向かいに位置していました。県下で有数の格式を誇る旅館であり、吉川氏の父・正俊さんの手記には、「子どものころは出征する兵隊を送り出す宴会が毎日のように行われていた」と綴られています。戦況の悪化に伴い旅館を譲渡し、一家は爆心地から約5キロメートル北東の府中町へ移り住んだため、吉川氏は大人になるまで吉川旅館が爆心地の正面にあった事実を知りませんでした。

広島平和記念公園の現在の様子。かつて繁華街だった中島地区の歴史を伝える場所広島平和記念公園の現在の様子。かつて繁華街だった中島地区の歴史を伝える場所

吉川氏は、長い間、父親が「入市被爆者」(原爆投下後、2週間以内に爆心地に入り被爆すること)であったことを知りませんでした。「戦争の話は聞いていましたが、原爆については親からも親戚からも耳にしたことがなかった。晩年になって、父がぽつぽつ話すようになったのは、自分の死を意識する年齢になったからなのかどうか。真意はわかりません」と振り返ります。父親の「被爆手帳」を目にしたことで、吉川氏は間接的にその過酷な体験を理解しました。「父はおそらく原爆直後の変わり果てた故郷を見たのでしょう。話すことはできなかったし、話したくもなかったのだと思います。想像ですよ。聞けません」と、父の沈黙に込められた深い思いを推し量っています。

復興の象徴:被爆電車が語る広島の軌跡

1945年8月6日の原爆投下により、広島の街は壊滅的な被害を受けましたが、そのわずか3日後には、生き残った社員たちの尽力により路面電車が運転を再開しました。車両や架線は甚大な被害を受けたにもかかわらず、路面電車が再び街を走る姿は、市民に大きな希望を与え、広島の復興を力強く促しました。「被爆電車」として知られる651号などの車両は、奇跡的に現在も現役で運行を続けており、広島の不屈の精神と復興の象徴として、その歴史を今に伝えています。

吉川晃司氏のプロフィール

きっかわこうじ●広島県出身の歌手、俳優。戦前、原爆ドーム前で祖父母が「吉川旅館」を営んでいました。自身も入市被爆者の2世として、平和への強い使命感を抱いています。1984年、映画『すかんぴんウォーク』と主題歌「モニカ」でデビュー。音楽活動にとどまらず、2011年の東日本大震災以降は、被災地の復興を願う活動家としても幅広く知られています。その活動は、彼の音楽性だけでなく、人間性にも深く根ざしています。

結びに

吉川晃司氏の平和への活動は、「被爆2世」としての個人的な体験と、社会全体への深い洞察から生まれています。彼が子どもたちと共に作り上げた歌や、故郷の歴史を語り継ぐ努力は、忘れ去られがちな戦争の記憶を呼び起こし、平和の尊さを次世代に伝える重要な役割を担っています。吉川氏の活動は、過去の悲劇から学び、未来に向けた平和な社会を築くためのメッセージとして、私たち一人ひとりに深く問いかけています。


取材協力: 婦人画報編集部(撮影=三浦憲治、文=相澤洋美、編集=吉岡博恵)
掲載誌: 『婦人画報』2025年8月号より