元宝塚歌劇団の女優、毬谷友子(65)が、1985年(昭和60年)に発生した日航ジャンボ機墜落事故で犠牲となった宝塚の後輩、北原遥子さん(本名:吉田由美子さん)への深い追悼の念を自身のX(旧ツイッター)で表明しました。この悲劇から38年が経過した今も、520人もの尊い命が失われた事故の記憶は薄れることはありません。今回の毬谷さんの投稿は、黒木瞳さんが御巣鷹の尾根へ慰霊登山を行ったことが契機となり、多くの人々の心に響いています。
毬谷友子の胸中と北原遥子さんの面影
毬谷友子さんは、女優の黒木瞳さんが8月12日に群馬県上野村の御巣鷹の尾根で慰霊登山を行い、宝塚時代の同期であり親友でもあった北原遥子さんの墓碑に手を合わせたことを伝える動画を引用する形で、その追悼のメッセージを綴りました。彼女は北原さんのことを「目が醒めるように美しいダリアの花のような人だった」と表現し、その生前の輝きを鮮やかに描写しています。事故の数日前には、北原さんが毬谷さんの舞台を観劇し、楽屋を訪れて小さなイヤリングを贈ってくれたという個人的な思い出にも触れ、「『外の世界(宝塚でない世界)は大変だねー。』って話した。それが最後となってしまった」と、当時の会話が今も胸に刻まれていることを明かしました。
毬谷友子さんがX(旧Twitter)に投稿した北原遥子さんへの追悼メッセージと画像
毬谷さんは、北原さんが今も「若くて美しいあの時のまま。向上心にあふれ、凛として前を向いたゆみちゃんのままだ」と語り、その変わらぬ姿を心に抱き続けていることを示しました。また、黒木瞳さんの慰霊登山がきっかけで、同期生である北原さんの歌を久しぶりに聞くことができたことに感謝を述べ、「私もちょっと泣いてしまいました。合掌」と、深い悲しみと共感を表現しています。投稿には北原さんの写真も添えられ、「ゆみちゃん。本当に美しかった」という言葉で締めくくられていました。
日航機墜落事故と追悼の意義
日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日に発生した航空史上稀に見る悲劇であり、群馬県御巣鷹の尾根に墜落し、乗員乗客520人が犠牲となりました。この事故は、多くの人々に深い傷跡を残し、毎年夏には慰霊や鎮魂の思いが捧げられています。黒木瞳さんの慰霊登山や毬谷友子さんの追悼メッセージは、時が流れても決して忘れ去られることのない事故の記憶、そして失われた命への哀悼の念を改めて世に伝えるものです。宝塚歌劇団という特別な絆で結ばれた仲間たちの間で受け継がれる追悼の思いは、多くの人々に感動を与え、悲劇を風化させないための重要な役割を担っています。
結び
毬谷友子さんのXでの追悼は、日航機墜落事故という歴史的な悲劇と、その中で失われた一人の才能豊かな女性、北原遥子さんへの尽きることのない思いを改めて浮き彫りにしました。黒木瞳さんの慰霊登山に端を発した一連の出来事は、宝塚歌劇団という枠を超え、人々の心に深く刻まれた絆と、過去の出来事から学び、未来へつなぐことの重要性を私たちに教えてくれます。故人を偲び、記憶を継承していくことの意義が改めて認識される機会となりました。
参考文献: