「石破政権」の変遷と「派閥政治」の岐路:自民党の未来はどこへ?

「石破政権」の終焉が現実味を帯びる中、総裁選の前倒しが囁かれる事態に至っている。この「石破おろし」を主導したのは、かつて解散したはずの「派閥」を担っていた面々であった。なぜ今、その「派閥」が亡霊のごとく姿を現すのか。そして、「派閥なき」と称される自民党は、衆参両院で過半数を回復し、再び国民の信頼を得て復活できるのだろうか。この複雑な政治状況について、日本政治思想史を専門とする法政大学の河野有理教授に、その深層を紐解いてもらった。

「派閥」の必然性と「石破おろし」に見える影

自民党の総裁選は、党員と所属議員による「公選制」を採用している。この制度下では、票を固めた陣営が勝利を収めるため、どのような形であれ、多数派を形成するための「派閥」のようなグループは必然的に存続せざるを得ない。実際、今回の「石破おろし」の局面で、旧来の派閥の枠組みが再び姿を見せたことは、ある意味で当然の現象と言えるだろう。

しかしながら、かつての強大な「派閥政治」の面影が薄れているのも事実である。今回、自民党が両院議員総会まで開催したにもかかわらず、首相退陣への具体的な道筋を描き出すことができなかった。もしこれがかつての自民党であれば、総会が開かれる以前に、有力な派閥の領袖たちによって、すでに首相は引きずり下ろされていたはずだ。この事実こそが、党内基盤が弱い首相が粘り腰を発揮できた背景であり、かつての派閥が持っていた影響力がもはや失われていることを示唆している。

自民党内の権力構造の変化と石破政権の課題自民党内の権力構造の変化と石破政権の課題

伝統的な「派閥政治」の終焉と首相の権力基盤

かつての派閥は、総理・総裁を務めた人物が「帰る場所」であり、その後の「根城」でもあった。首相経験者は派閥に戻り、今度はその派閥の領袖として「キングメーカー」の役割を果たすという「セカンドキャリア」が確立されていたのだ。昔の元老政治にも似たこの構造では、総理・総裁経験者が派閥の重鎮として党内で重きをなし、その後の総理・総裁選出過程に強い影響力を持ち続けていた。麻生派のように一部は残存するものの、全体としてはこのシステムは崩壊しつつある。

基盤なき首相の「無敵」性:石破首相の事例

大きな派閥を基盤としていない石破首相は、元来「キングメーカー」として影響力を行使する立場ではなかった。そのため、「ここで退かなければ、後で人がついてこなくなる」といった一般的な説得が、彼にはあまり響かない。この意味において、石破首相は「無敵の人」とも評される。総裁であれ総理であれ、最終的に石破首相自身が辞任の意思を示さない限り、党内から強制的に辞めさせることは極めて困難な状況なのである。これは、派閥が弱体化した現代の自民党政治における新たな特性と言えるだろう。

結び

今日の自民党における「派閥」は、その形を変えつつも、なお党内力学に影響を与え続けている。しかし、かつてのような強固な支配力は失われ、党内基盤の弱い首相が意外な粘りを見せるなど、新たな政治状況が生まれつつある。この変化のただ中で、自民党がどのように党内を再構築し、国民からの支持を再獲得していくのかが、今後の日本政治の大きな焦点となるだろう。


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