横山裕さん「24時間テレビ」チャリティーマラソン完走!壮絶な生い立ちと義父の存在への問い

2025年8月30日から31日にかけて放送された「24時間テレビ48」(日本テレビ系)で、「SUPER EIGHT」の横山裕さんがチャリティーマラソンに挑戦し、105キロを見事に完走しました。このマラソンは支援が必要な子どもたちのために企画され、横山さんの熱意ある走りは多くの視聴者に感動を与えましたが、番組内で明かされた彼の壮絶な生い立ち、特に義父の存在に焦点が当たらなかったことについて、SNS上では様々な疑問の声が寄せられています。

SUPER EIGHT横山裕さんのチャリティーマラソンへの意気込みが感じられる公式SNS投稿写真SUPER EIGHT横山裕さんのチャリティーマラソンへの意気込みが感じられる公式SNS投稿写真

横山裕、105km完走に込めた亡き母と弟への思い

チャリティーマラソンを完走した横山裕さんは、番組メイン会場である両国国技館のステージ上でゴールテープを切りました。その瞬間、彼は亡き母に向けて「オカン、今見てんのか?俺やったぞ!」と叫び、また「弟がやっぱり見てくれてるっていうのが、俺やらなあかん、兄ちゃんやらなあかんって思って頑張りました」と、家族への深い愛情と責任感を露わにしました。彼の走りには、自身の過去と、現在困難を抱える子どもたちへの強いメッセージが込められていたと言えるでしょう。番組で募られた「マラソン子ども支援募金」は、番組終了時点で総額7億40万8600円を超える多額の寄付を集め、その社会的意義の大きさを改めて示しました。

壮絶な生い立ち:苦難を乗り越えた横山さんの道のり

番組では、横山さんの困難な少年時代が詳細に語られました。彼が3歳の時に両親が離婚し、5歳で母親が再婚。その後、6歳差と8歳差の2人の弟が誕生しましたが、経済的に恵まれない家庭環境でした。横山さんは中学卒業後、建設会社に就職して働きながら、ジャニーズJr.(現・ジュニア)としても活動し、家計を支えました。

さらに試練が訪れます。母親に胃がんが見つかり、闘病中に2度目の離婚を経験。生活が困難になり、幼い弟たちは一時的に児童養護施設で生活せざるを得ない状況に陥りました。29歳の時に母親を亡くした後、横山さんは東京から大阪に戻り、弟たちとの3人暮らしを開始。彼らの生活費や学費を全面的に支援し、まさに「兄」として家族を支え続けました。番組では、横山さんが弟が過ごした養護施設を訪問し、当時の様子を担当職員から聞く場面や、母親を思って作詞した楽曲「オニギシ」が紹介され、視聴者の涙を誘いました。

「美談」の裏に潜む問い:義父の存在と養育費問題

横山さんのマラソン完走と彼の生い立ちが紹介されると、X(旧Twitter)などのSNSでは「横山裕の生い立ちや頑張りを見てたら自然と涙出たよ」「幸せになってくれ」「横山裕さんよく耐えたわ」といった、彼の努力や境遇に心を打たれた多くの感動や応援の声が寄せられました。

しかしその一方で、番組が横山さんの義父の存在にほとんど触れなかったことに対し、「横山くんの義父さんの事情は謎だけど病気の妻と幼い子供置いて何してたんだろ。。」「横山くんの生い立ち聞くと義父に対する怒りが湧いてくるな」といった疑問や批判の声も上がりました。これらの意見は、「美談でまとめず、養育費未払い問題・父親の責任を問う方向につなげてほしい」「横山くんだって支援されるべき子供だったんだよ……」と、個人の感動話として消費するだけでなく、親の責任や子どもの養育に関する社会問題として議論すべきだという提言にも繋がっています。

結び

SUPER EIGHT横山裕さんの「24時間テレビ」チャリティーマラソン完走は、彼の個人的な努力と家族への深い愛情を示す感動的な物語として多くの人々に記憶されました。しかし、彼の壮絶な生い立ちを通じて、経済的困窮、家庭内での養育問題、そして親の責任といった、日本社会が直面するデリケートな課題が浮き彫りになったことも事実です。今回の出来事は、子どもたちへの支援の重要性を再認識させると同時に、複雑な家族関係における倫理的・社会的な側面についても、深く考えるきっかけを与えてくれたと言えるでしょう。

参考文献