新一万円札の顔として注目を集める渋沢栄一は、「近代日本経済の父」と称される明治・大正時代を代表する実業家です。しかし、この渋沢栄一と並び称されながらも、長らく世間から忘れ去られていた関西財界の大物がいたことをご存じでしょうか。本記事では、歴史作家・河合敦氏の著書『侍は「幕末・明治」をどう生きたのか』に基づき、その人物、五代友厚の知られざる功績と、彼が大阪にもたらした多大な影響に迫ります。
五代友厚と朝ドラ『あさが来た』の真実
五代友厚(才助)は、「東の渋沢、西の五代」と評され、渋沢栄一と肩を並べる大阪の大実業家でした。近年、彼の知名度は大きく向上しました。NHKの朝の連続テレビ小説『あさが来た』では、主人公・白岡あさ(モデルは広岡浅子、大阪の実業家・教育者)が尊敬する実業家として登場し、人気俳優ディーン・フジオカ氏の好演も相まって、一躍脚光を浴びました。
近代日本経済の父として知られる新一万円札の顔、渋沢栄一の肖像
しかしながら、『あさが来た』で描かれた白岡あさ(広岡浅子)と五代友厚の交流は、残念ながら完全なフィクションです。友厚は浅子の夫である広岡信五郎とは共同事業を行っていた記録があるものの、浅子の実家である油小路三井家への出入りや、浅子との直接的な親しい交流を示す記録は見当たりません。両者には面識があったと考えられますが、親密な関係とまでは言えなかったでしょう。
忘れ去られた「大阪の指導者」
現代においてこそ注目を集める五代友厚ですが、実は戦時中までは一般にほとんど知られておらず、地元大阪の住民からも忘れ去られた存在でした。この現状を嘆いたのが、『夫婦善哉』などで知られる大阪出身の作家、織田作之助です。彼は昭和18年(1943年)に刊行した著書『大阪の指導者』(錦城出版社)の中で、五代友厚について次のように述べています。
織田作之助は、明治財界の指導者としての五代友厚の位置付けが渋沢栄一と並び称されるべきであると強調しています。さらに彼は、「幕末維新における志士としての活動という点からこの二人の先覚者を比較すれば、友厚の方が終始一貫してはるかに立派である。この点、友厚は明治実業家中ただ一人の人ではあるまいか。しかも、栄一は永く記憶され喧伝され、友厚は忘れられ黙殺されている。その人も、その功績も忘れ去られている」と、五代が渋沢をも凌ぐ功績を持ちながらも、世間から忘れられている現状に強い遺憾の意を示しました。
作之助は、維新の変革期に大阪が極度に衰微した際に、五代友厚がその危機を救った人物であると高く評価しています。「彼がいなければ、大阪は凋落の一途をたどり、今日の大阪を見ることはできなかったろう」とまで断言し、五代友厚の功績がいかに大阪の発展に不可欠であったかを力説しています。
まとめ
新一万円札の顔となる渋沢栄一と並び称されながらも、長らく歴史の陰に埋もれてきた五代友厚。彼は「近代日本経済の父」としての渋沢栄一とは異なる側面から、特に幕末から明治維新期にかけて、大阪経済の復興と発展に絶大な貢献をしました。NHK朝ドラの影響で近年再び光が当てられましたが、彼の真の功績、特に困難な時代における「大阪の指導者」としての役割は、今日改めて評価されるべきでしょう。彼の生涯と業績は、激動の時代を生き抜いた実業家の姿を現代に伝える貴重な教訓となります。
参考文献
- 河合敦『侍は「幕末・明治」をどう生きたのか』扶桑社
- 織田作之助『大阪の指導者』錦城出版社(昭和18年刊)
- Yahoo!ニュース: https://news.yahoo.co.jp/articles/ce8171a52cca9fc6548e8895ce5475273ee64802
- PRESIDENT Online: https://president.jp/articles/-/101074