2023年8月20日夜、神戸市中央区のマンションで大手損保会社に勤務する片山恵さん(24)が殺害された事件は、日本社会に大きな衝撃を与えました。この事件で、8月22日に運送会社社員の谷本将志容疑者(35)が殺人の容疑で逮捕され、その後の捜査で彼の過去が明らかになるにつれて、再犯防止と司法制度の課題が浮き彫りになっています。本記事では、谷本容疑者の犯行の経緯、繰り返されてきた類似犯行、そして彼の人物像に迫り、この事件が提起する社会的な問いについて深く掘り下げます。
緻密な計画と残酷な犯行の経緯
事件は8月20日夜、片山さんが勤務先から帰宅する途中で発生しました。兵庫県警の捜査によると、谷本容疑者は事件の数日前から休暇を取り、神戸を訪れていました。現場付近の防犯カメラには、被害者の後を約50分間にわたってつけ、自宅マンションのエレベーターに一緒に乗り込む谷本容疑者の姿が記録されています。逮捕当初、「被害者と面識はない」と供述していた谷本容疑者は、後に「事件2日前の18日朝に路上で被害者を見つけ、好みの女性だと思って後をつけた。そして、職場のビルに入っていくのを確認した」と供述を変化させました。
複数の防犯カメラ映像は、谷本容疑者が被害者の職場を見上げたり、執拗に尾行したりする様子を捉えていました。さらに、事件前日の17日には別の女性を尾行する姿も確認されており、谷本容疑者は神戸市中央区のホテルを拠点に、「好みの女性」を物色し、市内を徘徊していたとみられています。この一連の行動は、犯行が計画的かつ執拗であったことを示唆しています。
繰り返された類似犯行:執行猶予中の「再犯」
谷本容疑者の過去を辿ると、今回の事件と同様の犯行で逮捕・起訴された経歴があることが判明しました。裁判資料によると、彼は2020年9月にも神戸市で別の女性に対し、エレベーターに乗り込むなどのつきまとい行為を複数回行ったとして、ストーカー規制法違反などの罪で神戸簡易裁判所から罰金命令を受けています。
さらに、その2年後の2022年5月には、路上で見かけた20代女性に一方的に好意を抱き、約5ヵ月間にわたりマンションに侵入するなどのつきまとい行為を続けました。その挙句、女性の部屋に押し入り、首を絞めるなどして殺人未遂容疑で逮捕されています。検察は後に殺人未遂ではなく傷害などの罪で起訴しましたが、同年9月、神戸地方裁判所は「懲役2年6ヵ月、執行猶予5年」の判決を言い渡しました。この判決の際、安西二郎裁判官は谷本容疑者に対し、「思考のゆがみは顕著であり、再犯が強く危惧されると言わざるを得ない」と明確に指摘していました。この司法の警告にもかかわらず、今回の悲劇が起こってしまったことは、執行猶予制度のあり方や、犯罪者の更生・再犯防止対策について、改めて深刻な問いを投げかけています。
容疑者・谷本将志の知られざる人物像
逮捕直後から谷本容疑者の人物像を探る取材が続けられていますが、その実像は掴みづらいとされています。大阪府豊中市の中学校を卒業後、コンピューター関連の学校に進学。その後は外食チェーンや建設会社に勤務し、職場での評判は良く、信頼も厚かったと言います。
親族の女性によると、幼い頃に両親が離婚し、父親に引き取られたものの、その父親はすでに他界。谷本容疑者は度々お墓参りに訪れていたと語られています。しかし、中学時代の谷本容疑を記憶している人は極めて少なく、目立たないタイプで、あまり登校していなかったようです。
2022年の執行猶予付き判決後、谷本容疑者は上京し、千葉県内の建設会社を経て、逮捕時に勤務していた運送会社に勤めていました。家宅捜索が入った東京都新宿区の寮は会社に併設されており、4畳半ほどの個室で、冷蔵庫と電子レンジのみのシンプルな生活を送っていたことが判明しています。洗濯物が干され、複数の調味料や鍋が見られたことから、自炊していた様子がうかがえます。また、ベッドの枕元には親族のものと思われる2柱の位牌が置かれていました。
谷本将志容疑者が生活していた運送会社の寮の一室。雑然とした四畳半の空間に、位牌が置かれていたベッドが見える。
寮では、社長からも目をかけられるほど優秀な働きぶりを見せていた一方で、「親の介護のために300万円借金している」と話すなど、経済的な苦境も抱えていたようです。会社側は自己破産の手続きのため弁護士を紹介するなど、彼をサポートしていました。一見するとごく普通の、懸命に人生を立て直そうとする男性に見える彼の内面に、どのような「思考のゆがみ」を抱えていたのか、その深層解明が待たれます。
司法への問いと再犯防止の課題
「人生をやり直すべく上京した」谷本容疑者の部屋で、彼は何を思い、何を考えていたのでしょうか。「好みの女性を見つけ、後をつけて襲う」という、これまで繰り返されてきた欲求を抑制する術はなかったのか。なぜ、わざわざ休暇を取ってまで神戸へ向かったのか。
神戸地裁の裁判官が指摘した「再犯が強く危惧される」という言葉は、今回の事件を前にして重く響きます。執行猶予期間中に同様の、そしてさらに深刻な事件が起きてしまったことは、日本の司法制度における再犯防止策、特に「ストーカー規制法違反」や「つきまとい行為」を繰り返す者への介入のあり方に、大きな課題を突きつけています。犯罪心理の解明と、適切な社会復帰支援、そして厳格な監視体制のバランスが、今後の司法制度に問われる重要な論点となるでしょう。