親の離婚が子どもに与える影響:40年前、小学3年生の目に映った家族の風景

「親の離婚」は、当事者である夫婦だけでなく、その子どもたちの人生にも計り知れない変化と影響をもたらします。作家・堀 香織氏が、自らの幼少期の記憶を辿り、40年前に経験した両親の離婚とその後の心の動きを繊細に綴った一節をご紹介します。これは、単なる家族の物語ではなく、時代背景と子どもたちの視点から「家族の在り方」を深く考えさせる貴重な記録です。親の選択が子どもにどう映り、どのように記憶として刻まれていくのか、その複雑な内面描写を通して、私たちは「家族の絆」と「子どもの心」について改めて向き合う機会を得るでしょう。

初めて目の当たりにした両親の激しい口論:小学3年生の春

あれは私が小学3年生の春のことだったと思います。ある朝、ものすごい物音と怒鳴り声で目を覚ますと、ダブルベッドの上で父が母に馬乗りになり、「なんで、んなもん、なくせんて!」と激しく怒鳴りつけていました。母は泣き叫ぶばかりで、同じ部屋の2段ベッドの上段に寝ていた私にとって、その光景は忘れがたい衝撃となりました。それまで、両親は仲が良いものだと信じていた私にとって、まさに「青天の霹靂」と呼ぶべき出来事だったのです。

ダブルベッドの上で激しく口論する両親と、二段ベッドからそれを見下ろす幼い子どもの姿ダブルベッドの上で激しく口論する両親と、二段ベッドからそれを見下ろす幼い子どもの姿

後に母から聞いた話によれば、この頃、母は金沢の繁華街・片町に新しくできた「エルビル」の「CAT」というスナックでママとして働いていました。ある日、客の一人と仕事終わりに深夜映画を観に行き、さらに酒場で飲み明かした後、酔った状態で朝に帰宅した際に財布をなくしてしまったそうです。父はそれを咎めて母を怒鳴りつけました。しかし、父が生活費をほとんど入れてくれなかったため、母は子どもたちを家に置いてスナックで働かざるを得なかったのです。母だってたまには息抜きをしたかったでしょうし、父に母を怒鳴りつける権利はまったくないと、今でも強く思います。

この朝の口論を境に、それまで子どもの前では仲の良いふりをしてきた両親の会話は完全に途絶えました。私たち姉弟は、何度も「きょうだい会議」を開き、「どうすればお母さんとお父さんが仲良くなるのか」を真剣に話し合いました。しかし、小学3年生の私、小学1年生の妹、そして保育園児の弟に、解決策が見つかるはずもありませんでした。

離婚の決断と、幼き姉弟に訪れた最初の別れ

母は離婚を考え、「養育費も何もいらないから、子どもだけは私に託してほしい」と父に懇願しました。しかし、父は子どもを手放したくなかったようで、母の願いを断固として拒否。数回にわたる話し合いの末、父の「上の二人は小学生なんだから、転校させるのはかわいそうだろう」という言葉で、母はまず弟だけを連れて東京へ行くことになりました。

その日は秋の遠足の日で、私は母が作ってくれたお弁当と選んでくれたお菓子を持って、金沢市内を一望できる卯辰山へ出かけました。遠足そのものの記憶はほとんどありませんが、「玄関を開けてもお母さんはもういないんだな」と、涙をこらえながら家まで帰ったことだけは鮮明に覚えています。実際に玄関で「おかえり」と言ってくれたのは、父方の祖母と妹でした。

昭和56年豪雪がもたらした、堀家の新たな転機

私が小学4年生の冬休み、私と妹は東京にいる母の家へ遊びに行きました。その冬は、後に「昭和56年豪雪」と名付けられるほどの大雪に見舞われ、金沢では1メートル25センチもの積雪を記録しました。当然、鉄道は運休し、これを千載一遇のチャンスと捉えた母は父に電話をかけ、「このまま香織と佐知を引き取りますね」と伝えました。子育てに対して経済的にも精神的にも破綻状態にあった父は、それを了承。のちに正式に両親は離婚しました。父の性格を熟知し、戦略を練りに練った母の圧勝だったと言えるでしょう。

親の配慮:子どもたちだけの東京-金沢間の旅路

離婚した夫婦の中には、相手に子どもを会わせない親もいると聞きますが、母は夏休みと冬休みには私たち姉弟を金沢へと送り出してくれました。電車賃は、東京から金沢までを母が、金沢から東京までを父がそれぞれ負担するという取り決めでした。始発駅の上野駅のホームで、特急「白山」や「能登」に乗り込む私たちを母が見送り、終着駅の金沢駅に到着すると父が待っている、という具合です。

小学生以下の子ども3人での8時間近くに及ぶ旅は、車内の周囲の大人たちが「えらいねえ」と声をかけてくれたり、飴やお菓子をくれたり、隣の席のお姉さんと一緒に座席を向かい合わせにしてトランプで遊んだりと、多くの方々の優しさに触れる機会がありました。この子どもたちだけの特別な旅は、緊張感の中にちょっと得意げな気持ちもあり、また一期一会の大人との触れ合いもあって、私たちにとって非常に楽しい思い出となりました。

変化する父の日常:そして「新しいお姉さん」たち

金沢で父と過ごす夏休みや冬休みは、毎回違う「お姉さん」が父の隣にいました。彼女たちは最初の2、3日こそ、私たち子どもとも仲良く遊んでくれたり、食事の支度をしてくれたりしました。

しかし、事態は徐々に変わっていったのです。

結びに

堀氏の回顧録は、親の離婚が子どもにもたらす多層的な影響を浮き彫りにします。それは葛藤や寂しさだけでなく、子どもならではの観察力や順応性、そして困難な状況を乗り越える自立心をも育むきっかけとなることを示唆しています。また、親の決断が子どもにどう映り、記憶されていくのか、その重みを改めて私たちに考えさせられる物語です。家族の形が多様化する現代において、子どもの視点から語られるこのような経験談は、社会が家族という単位を理解し、支援していく上で貴重な示唆を与えることでしょう。


参考文献:

堀 香織『父の恋人、母の喉仏 40年前に別れたふたりを見送って』(光文社)より一部抜粋・編集。
Source link: Yahoo!ニュース/Diamond Online