滋賀県彦根市が長年目指してきた彦根城の世界文化遺産登録が、この度、文化審議会の審議を経て見送られることになった。暫定リストに記載されてから30年以上の歳月が流れ、地元自治体は登録に向けた強い期待を寄せていたものの、今回の決定は大きな落胆をもたらした。見送りの背景には、「大名統治システム」の概念をいかに有形遺産として説得力ある形で示すかという、重要な課題が横たわっている。
長期にわたる「暫定リスト」掲載と高まった期待
彦根城は1992年にユネスコの世界遺産暫定リストに記載されて以来、30年以上にわたりその登録を待望されてきた。近年、地元自治体の期待は特に高まっており、昨年10月には世界遺産委員会の諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)から「世界遺産登録の可能性がある」という事前評価を受けていた。彦根市のホームページにも「彦根城世界遺産登録へ大きく前進!」という報告が掲載され、市民の間にも登録実現への希望が広がっていた。しかし、8月26日に開催された文化審議会の世界文化遺産部会は、2027年登録を目指すユネスコへの推薦を見送ることを決定。田島一成市長は会見で「あと一歩」と述べ、改めて2028年の登録を目指す考えを表明している。
彦根城の世界遺産登録を求める旗とポスターが並ぶ彦根市内の街並み。地元住民の強い期待と熱意が感じられる風景。
見送りの核心:「大名統治システム」の概念とその提示課題
彦根城の世界遺産登録を推進する滋賀県と彦根市は、その価値を「日本における徳川(江戸)時代の地方政治拠点として機能した、建築及び土木の傑出した見本であり、大名統治システムを有形遺産で示すもの」と主張してきた。イコモスもこの主張に対し一定の評価を示しつつ、「単独の資産で大名統治システムを完全に表現できているか」「大名統治システムの運用方法について説明を充実させること」といった課題を提示していた。文化審議会もこれを受け、推薦見送りの理由として「一定の範囲の城を抽出することについての妥当性、客観性に関してイコモスから指摘を受ける可能性がある」「大名統治システムの鍵になる概念について説得的な根拠が示されていない」と指摘した。すなわち、単なる城郭建築としての価値に留まらず、日本の歴史における「大名統治システム」という無形の概念を、彦根城という有形の資産がどのように体現しているのかを、より明確かつ説得的に示す必要性が浮き彫りになった形だ。
彦根城の歴史的価値と今後の登録への道筋
彦根城は、江戸時代初期に徳川四天王の一人である井伊直政の子、直継によって築城が開始され、その後、譜代大名筆頭である井伊家の居城として、近江国の地方政治・経済の中心を担ってきた。現存する天守は国宝に指定されており、また堀や石垣、櫓など、その優れた建築技術や土木技術は、当時の最高水準を物語っている。これらはまさに、江戸幕府を支えた大名による地方統治の拠点としての機能、つまり「大名統治システム」の具体的な証左と言えるだろう。しかし、今回の見送りは、これらの遺産がどのように日本の長期間の安定と繁栄を可能にしたのか、その「大名統治システム」の運用方法や、彦根城という単独の資産がそのシステム全体をいかに代表するのかという点で、さらなる説明の深化と、説得的な根拠の提示が求められていることを示している。今後の登録実現には、これらの課題に真摯に向き合い、専門的な知見を結集した詳細な説明を構築していく継続的な努力が不可欠となる。
結論
彦根城の世界文化遺産登録見送りは、長年の夢を追い続けてきた地元にとって一時的な挫折である。しかし、文化審議会が示した「大名統治システム」の提示に関する課題は、彦根城が持つ歴史的・文化的価値を、より普遍的な視点で再構築するための重要な機会と捉えることもできる。2028年の登録実現に向けて、彦根市や関係機関は、彦根城が体現する唯一無二の価値と、それが日本の歴史に果たした役割を、国際社会が納得する形で明確化し、説得力ある登録推進計画を練り上げることが期待される。
参考文献
Yahoo!ニュース (デイリー新潮より) 『暫定リストに載ってすでに30年以上「可能性あり」の事前評価も受けていたのに…』