伊東市長・田久保眞紀氏の学歴詐称疑惑:百条委員会を驚愕させた「東洋大学の記録」が示す真実

10月19日に投開票が迫る、伊東市長・田久保眞紀氏の議会解散に伴う市議選。この重要な時期に、NEWSポストセブン取材班は、田久保氏が「卒業したと勘違いしていた」と説明してきた東洋大学の学歴詐称疑惑を巡る複数の決定的な証言と「記録」を入手しました。特に、8月に百条委員会のメンバーの元に届いた大学からの「ある記録」は、その場にいた関係者らを驚かせ、「これで”勘違い”などありえない」とまで言わしめたといいます。その記録に記されていたのは、これまで明かされてこなかった田久保氏が4年次までに東洋大学で取得した「単位数」という事実でした。

田久保市長の学歴詐称疑惑:百条委員会を驚かせた「記録」の核心

百条委員会が田久保市長の「卒業したと”勘違い”」という発言を正式に虚偽と認定し、刑事告発に至った背景には、まさにこの「記録」の存在が大きく影響しています。委員会関係者によると、資料を閲覧したメンバーは皆、その内容に目を丸くしたとされます。この「記録」こそが、田久保氏の学歴に関する曖昧な説明を覆す決定的な証拠となり、疑惑の核心を突くものとなったのです。

伊東市長・田久保眞紀氏と、学歴詐称疑惑を覆す「ある記録」伊東市長・田久保眞紀氏と、学歴詐称疑惑を覆す「ある記録」

「放蕩大学時代」と”卒業勘違い”発言の背景

田久保市長は千葉県船橋市に生まれ、中学3年で伊東市へ移住。大学進学を機に再び地元を離れ、いわゆる”大学デビュー”を果たし、自由な時間を謳歌していたと伝えられています。

苦悩する母親と自由奔放な学生時代

全国紙政治部記者によると、田久保氏は大学時代、学年が進むにつれてバイクやバンド活動に傾倒し、学業が疎かになっていったとされています。本人も過去に「最後のほうはバイクでフラフラして、ほとんど(大学に)行っていないような状態だった」と語るほどです。都内での下宿生活は、知人らの間で「放蕩娘」というイメージが強かったようです。田久保氏の母親と親交のある伊東市内の飲食店関係者は、「お母さんはよく『言うことを聞かないおてんば娘で困る』と話していましたが、二人三脚で生きてきたこともあり、『自由にやらせたい』と常に思っていた」と証言しています。伊東でカフェを開業した際も、母親が金銭的に援助したとのことです。

百条委員会による虚偽認定と刑事告発

NEWSポストセブンが以前、田久保氏に直撃取材を行った際、「どの程度、大学に行っていなかったのか」という質問に対し、同氏は「バイクでフラフラと……」と曖昧な回答に終始しました。学歴詐称疑惑そのものについても、「申し訳ないと思っている」としながらも、「せんなきことかと思います。ゴシップネタのような」と、問題を矮小化するかのような発言が見られました。しかし、百条委員会はこうした田久保氏の発言に対し、「勘違いが起こりうる状況でなかった」と判断。学歴に関する記録を詳細に精査した結果、「卒業したと”勘違い”」という発言を虚偽と正式に認め、刑事告発に踏み切ったのです。

東洋大学の卒業証書を前に立つシースルージャケット姿の田久保眞紀伊東市長と、フリルバッグを持つ登庁姿東洋大学の卒業証書を前に立つシースルージャケット姿の田久保眞紀伊東市長と、フリルバッグを持つ登庁姿

東洋大学からの「単位数」開示が示す真実

百条委員会のメンバーを驚愕させた「ある記録」とは、東洋大学が公表した田久保市長の「4年次までに取得した単位数」でした。この具体的な数値が示すのは、彼女が「卒業したと勘違いしていた」という主張が、客観的な事実とはかけ離れたものであるという紛れもない真実です。この「単位数」の開示によって、学歴詐称疑惑は単なる”誤解”や”勘違い”では説明できない段階に入り、政治家の資質や信頼性が問われる重大な問題として、伊東市議選を前に改めて注目を集めています。

結論

伊東市長・田久保眞紀氏の学歴詐称疑惑は、東洋大学からの「単位数」の記録開示と百条委員会の虚偽認定・刑事告発によって、極めて深刻な局面を迎えています。市長が自身の「放蕩大学時代」を認めつつも「卒業勘違い」という説明に固執してきた背景には、今回の記録が示す事実との大きな乖離があったことが明らかになりました。この問題は、間近に迫った伊東市議選にも大きな影響を与え、有権者の判断に際して、政治家としての透明性と倫理が強く求められることとなります。

参考文献