天皇制存続に貢献した異邦人:小泉八雲と戦後日本

NHK連続テレビ小説「ばけばけ」が、ヒロインのトキを演じる高石あかり、その夫となるレフカダ・ヘブン役のトミー・バストウ、そして錦織友一役の吉沢亮といった主要登場人物を揃え、人種や年齢差を超えた愛と友情の物語の幕を開けました。この物語のモデルとなっているのは、元武士の娘・小泉セツ、作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)、教育者・西田千太郎という、日本の歴史に名を刻む面々です。特に、異国から日本に深い愛情を注ぎ、その文化を世界に紹介した小泉八雲の功績は計り知れませんが、彼の洞察が戦後の日本の根幹に関わる重要な局面で、いかに影響を与えたかをご存知でしょうか。

日本への深い傾倒:小泉八雲のルーツと松江での日々

ドラマでヘブンが旧制松江中学の英語教師として島根県松江市に赴任したのは、史実通り1890年8月30日のこと。米国で新聞記者をしていたラフカディオ・ハーン(後の小泉八雲)は、英訳版の『古事記』を読み深く感動し、日本という国に強く傾倒しました。彼はニューオリンズで出会った日本人官僚に尊敬の念を抱いたこともあり、どうしてもこの国を訪れたいと願っていました。

赴任地が偶然にも『古事記』の核心である出雲神話の地、松江であったことは、八雲にとってこの上ない喜びとなりました。彼は生涯にわたって松江を愛し続け、1896年に日本へ帰化した際、「八雲」と名乗ったのも、『古事記』に記されている日本最古の和歌「八雲たつ 出雲八重垣」に由来しています。八雲はその後、熊本市や東京へ移り住みますが、松江で得た経験が彼の日本研究の礎となりました。

朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン、トキ役を演じる高石あかりの姿。朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン、トキ役を演じる高石あかりの姿。

文学者としての功績と影響:漱石も認めた「泰斗」

小泉八雲は、『知られぬ日本の面影』、『怪談』、『心』など、日本に関する著書を約14冊も残し、永井荷風をはじめとする多くの日本人作家に多大な影響を与えました。彼の作品は、日本の風土、文化、精神、そして幽玄な美を異邦人の視点から鮮やかに描き出し、後の日本文学に新たな光を当てたのです。

英文学者としても超一流だった八雲は、東京帝国大学の英文学講師を務めました。彼が退任した後、その地位を引き継いだ夏目漱石は、妻の鏡子夫人に次のような不安を漏らしています。「小泉先生は英文学の泰斗(たいと)。自分のような書生あがりのものが、その後釜にすわったところで、とうてい立派な講義ができるわけのものでもない」(夏目鏡子『漱石の思い出』松岡謙筆録)。これは1903年のことですが、漱石が八雲の専門性と権威をどれほど高く評価していたかを物語るエピソードです。

GHQを動かした八雲の洞察:天皇制存続の裏に

小泉八雲の最も大きな功績は、彼の著書を通じて欧米に日本の素顔、その精神文化を広く紹介したことにほかなりません。第二次世界大戦後、日本の占領政策を担ったGHQ(連合国軍総司令部)のマッカーサー元帥の側近であり、日本通として知られた米陸軍准将のボナー・フェラーズも、八雲の著書によって知日家となった一人です。

フェラーズは大学時代、日本人留学生に紹介された八雲の著書に感銘を受け、全作品を読破しました。特に、八雲が「日本人の祖先崇拝と天皇崇拝は不可分の関係にある」と分析した点に深く共鳴し、天皇という存在が単なる政治的リーダーではなく、日本人の精神的支柱であることを理解しました。

日本の敗戦後、GHQ内部では天皇の戦争責任を追及すべきだとする声が強くありました。しかし、フェラーズはマッカーサーに対し、「天皇が訴追されれば、政府は崩壊し、大規模な暴動も避けられない」と強く主張。このフェラーズの意見は、マッカーサーの判断に大きな影響を与え、結果として天皇の訴追は免れることとなったのです。小泉八雲の深い洞察が、巡り巡って戦後の日本の国体の根幹である天皇制の存続に、間接的ながらも決定的な役割を果たしたと言えるでしょう。

結論

小泉八雲は単なる文学者としてだけでなく、その深い日本文化への理解と卓越した洞察力をもって、遠い異国から日本の真の姿を世界に伝えました。そして、彼が残した思想が、戦後の日本の最も困難な時期において、国の形と精神的安定を守るための重要な一助となったことは、歴史の皮肉であり、また同時に彼の功績の大きさを物語っています。彼の生涯と作品は、「ばけばけ」を通じて、現代を生きる私たちにも、文化理解と国際間の相互尊重の重要性を改めて問いかけています。

参考文献