安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件を巡り、奈良地方裁判所で10月28日に初公判が開かれました。山上徹也被告は罪状認否で「私がしたことに間違いありません」と殺人の罪を認め、検察も冒頭陳述で「山上被告の単独犯」であると明確に主張しました。しかし、警察や検察による詳細な解明と被告の自白にもかかわらず、インターネット上では事件を巡る陰謀論が依然として根強く拡散しています。本記事では、公式の捜査結果と対立するこれらの陰謀論の実態、そしてなぜ人々がそうした荒唐無稽な言説に惹きつけられるのか、その心理的背景を探ります。
安倍元首相銃撃事件とそれにまつわる陰謀論の背景を議論する記事の導入画像。
公式見解を否定する「複数犯説」と「闇の勢力」
山上徹也被告は初公判で自らの犯行を認め、検察側も冒頭陳述で事件を「山上被告の単独犯」として詳細な動機や経緯を明らかにしました。国家権力が総力を挙げた捜査と被告の証言により、事件の全容は解明されたかに見えます。しかし、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)上では、警察の捜査や検察の冒頭陳述を完全に否定する様々な陰謀論が今も拡散を続けています。
例えば、以下のような主張が見られます。
- 「手製の銃で元首相を暗殺できるはずがない。複数犯の犯行であるのは明らかだ」
- 「メディアが隠蔽している真犯人が撃った瞬間を記録した映像が存在する」
- 「安倍元首相は真正面から狙撃されているように見えるが、山上被告は背後にいたため、殺害は物理的に不可能だった」
これらの陰謀論を信じる人々は、初公判で示された検察の冒頭陳述を「“闇の勢力”に支配された検察がデマを垂れ流している」と批判します。この「闇の勢力」とは、アメリカの陰謀論で頻繁に登場する「ディープステート(影の政府、地底政府)」の日本版であると考えられています。
広がる「闇の勢力」関与説と事件の解釈
「闇の勢力」の存在は、安倍元首相の死因だけでなく、事件を取り巻く様々な状況にも結びつけられ、より広範な陰謀論へと発展しています。
具体的な例としては、以下のような言説があります。
- 「今の高市首相への激しい批判からもわかるように、安倍元首相は特定の“闇の勢力”によって消されたのだ」
- 「山上被告の家庭は実際には崩壊しておらず、安倍元首相を殺害したのは“闇の勢力”であり、その真の目的は統一教会を攻撃することだった」
- 「奈良県警の警備が甘かったのも“闇の勢力”が原因だ。安倍氏が狙われているという情報は事前に警察上層部に伝えられ、現場での傍観が指示された」
これらの主張は、事件の背景に何らかの巨大な力が働いているという推測に基づいています。公式の発表や証拠に反して、複雑な状況をより単純で、かつ壮大な陰謀によって説明しようとする傾向が見て取れます。
陰謀論が人々を惹きつける心理的背景
なぜ、これほどまでに荒唐無稽に思える陰謀論が多くの人々の関心を引き、信じられてしまうのでしょうか。ITジャーナリストの井上トシユキ氏は、その理由を「陰謀論がネット怪談や都市伝説と同じ“構文”を持っているから」だと指摘します。
井上氏によれば、ネット怪談や都市伝説は「もしも、こんなことがあったら、怖いよね」という「もしも」の構文に根差して作られます。例えば、「もしも呪いのビデオがあったら怖いよね」や「もしも下水道に巨大なワニが住んでいたら怖いよね」といった具合です。今回の安倍元首相銃撃事件に関する陰謀論も、「もしも山上被告が単独犯ではなかったら怖いよね」という素朴な「もしも」の疑問に根ざしており、これが人々の興味を強く引きつける原点となります。
さらに、井上氏は陰謀論が広まる「競争」の激しさも重要だと述べています。無数の陰謀論が日々ネット上で生まれていますが、その大半は人々の関心を引くことができずに消えていきます。私たちがSNSなどで目にする陰謀論は、既に相当数の人々によって信じられ、共有されてきた「勝ち組」の言説なのです。
結論
安倍元首相銃撃事件を巡る山上徹也被告の初公判と自白は、法的な側面から事件の真相を明らかにしようとするものです。しかし、それと並行してインターネット上で過熱する陰謀論は、現代社会における情報消費の複雑さと、人々の心理的な脆弱性を浮き彫りにしています。公式な情報と対立する「複数犯説」や「闇の勢力」の関与といった言説が広まる背景には、単なる情報不足だけでなく、「もしも」という人間の根源的な好奇心や、社会に対する不信感が深く関わっていると考えられます。このような陰謀論の拡散は、社会の分断を深めかねず、正確な情報リテラシーの重要性を改めて示唆しています。
参考文献
- Yahoo!ニュース (記事掲載元)
- 週刊新潮 (詳細な写真記事提供元)





