相席ブロックは「賢い」のか、それとも「浅ましい」のか?高速バスの「ハック技」が問う現代社会の倫理観

年末年始の帰省シーズンが近づく中、高速バスを利用する人々の中で静かに広がりつつある予約テクニックが注目を集めています。その名も「相席ブロック」。これは、一人で乗車するにもかかわらず、隣り合った2席分を予約し、発車直前に1席分をキャンセルすることで、隣に別の乗客が座るのを阻止する行為を指します。この少額の出費で快適な移動空間を確保する「ハック技」は、本当に賢い選択なのでしょうか。SNSで頻繁に目にする「知らないと損する」という言葉の裏に潜む心理と、現代社会における倫理観について考察します。

相席ブロックとは?その手口と利用者側のメリット

「相席ブロック」とは、高速バスの座席予約において、単独で利用する客が隣接する2席を予約し、出発直前にそのうちの1席だけをキャンセルすることで、意図的に隣席を空席にする手法です。これにより、乗客は実質的に2席分のスペースを確保し、より快適な乗車時間を享受できるとされています。

このテクニックの主なメリットとしては、「落ち着いて過ごせる」「周囲を気にせず飲食できる」「手荷物や上着を置くなど、2席分のスペースを自由に使える」といった点が挙げられます。特に女性客の中には、「隣に男性客が座る可能性を排除できる」ことを目的とするケースも存在します。

高速バスの座席。乗客が快適な移動を求めて相席ブロックを行う様子をイメージ高速バスの座席。乗客が快適な移動を求めて相席ブロックを行う様子をイメージ

バス会社が抱える問題と法的な側面

相席ブロックは、利用者にとっての利便性が高い一方で、バス会社にとっては大きな問題となります。本来であれば2席分の運賃収入が得られるはずが、1席分の運賃とキャンセル料しか得られないため、収益機会の損失に繋がるからです。

これに対し、一部のバス会社はキャンセル料の引き上げといった対策を講じていますが、相席ブロックが完全に根絶されたわけではありません。相応のキャンセル料を支払ってでも「事実上の2席確保」を望む利用者のニーズは根強いと言えるでしょう。

法的な側面から見ると、この行為を客の法的責任として問うことは困難です。なぜなら、実際に2名で乗車する予定が急遽1名変更になった可能性を完全に否定できないためです。キャンセル自体は正規の手続きに則っており、違法行為ではありません。これは、制度や仕組みの想定外の抜け穴や欠陥を突いて利益を得る、いわゆる「ハック」の一種と見なされます。

「ハック」の心理:SNSに溢れる「知らないと損する」の罠

相席ブロックのような「ハック技」が広まる背景には、簡単な方法で「得」を享受できるという魅力があります。裏を返せば、その方法を知っていながら実行しないと「損」をしてしまう、という心理が働くのです。

近年、X(旧Twitter)などのSNSでは、「知らないと絶対損する!」「今までマジで損してたわ……」といった煽り文句で始まる「お役立ち情報系」の投稿が数多く見られます。生成AIの活用術、お得なセール情報、助成金の一覧、無料アプリの紹介、ポイント活動の指南など、その内容は多岐にわたります。

これらの投稿の多くは、純粋な親切心から情報提供を行っているわけではありません。投稿者のビジネスへの誘導を目的としているケースがほとんどです。彼らがこうした書き出し文句を用いるのは、心理学的あるいはマーケティング的な観点から、「知らないと損する」と表現する方が、より多くの人々の目に留まり、クリックされやすいと認識しているためです。

人を動かす「損失回避」のメカニズム

なぜ「知っていると得する」ではなく、「知らないと損する」という言葉が人々の行動を促すのでしょうか。その背景には、人間の「損失回避」という心理メカニズムがあります。人は、「マイナスをゼロにする」ために金銭を支払うことには抵抗が少ない一方、「ゼロをプラスにする」ことにはそれほど積極的ではない傾向があります。

例えば、脱毛、痩身、健康食品などの広告が良い例です。これらの広告は、直接的ではないにしろ、「今のままでは夏までにムダ毛が目立ってしまう」「太っていると魅力がない」「このままでは病気のリスクが高まる」といった形で、潜在的な脅威を提示します。広告を見る人に「現状は好ましくない状態(マイナス)であり、そこから脱しなければ非常にまずい」という危機感を抱かせることで、商品やサービスへの関心や行動を促しているのです。

相席ブロックもまた、この損失回避の心理が働く一例と言えるでしょう。「隣に人が座るかもしれない」という「不快な状況(マイナス)」を避けるために、キャンセル料という「少額の出費」をいとわないという選択です。

現代社会における「賢さ」と「浅ましさ」の境界線

相席ブロックや「知らないと損する」というSNSの煽り文句は、現代社会において個人が「得」を得ようとする行動の一端を映し出しています。限られた資源や情報をいかに効率的に活用するかという「賢さ」が求められる一方で、それが他者や社会全体にどのような影響を与えるのかという「倫理観」が問われる場面も少なくありません。

制度の隙間を突く行為は、法的には問題がなくても、その背後にある倫理的な是非が議論されるべきです。少額の出費で快適さを得る「賢い」選択と見なすか、それとも公共のサービスを私的に利用しようとする「浅ましい」行為と捉えるか。この問いは、個人の利益追求と社会全体の調和という、現代社会が抱える普遍的なテーマを浮き彫りにしています。