人々の憩いの場に残されていたのは、高さ数メートルのごみの山だった。
昨年10月の台風19号で阿武隈川が氾濫し、大水害に見舞われた宮城県丸森町。発生から約2カ月半が過ぎた12月下旬、災害ごみの仮置き場になった役場前の町民広場には、泥だらけの布団やぼろぼろになった冷蔵庫などが大量に積まれていた。周囲に悪臭が漂う中、町民らは疲れた表情で近くを通り過ぎていく。
なぜ、こんな状態が続いたのか。
台風19号で被害を受けた丸森町の家屋は約1290棟。想定外の災害に被害の把握が難航し、仮置き場などを決める上で必要なごみの量の算定も遅れた結果、処理方針がスムーズに決まらず初動に遅れが生じた。
最終的に出てきた同町の災害ごみは計約3万6千トン。町は被災後10日で仮置き場を5カ所作ったが、ごみの処分先が少なく、処理は滞った。国や県の主導で一部の処分を横浜、仙台市に要請したものの、問題解消には至らなかった。
「より広く支援を依頼したかったが、広域処理は単独で進められない…」。町職員は嘆く。
この状況を招いた要因を突き詰めていくと、たどり着くのが、災害時のごみ処理対応を事前に定める「災害廃棄物処理計画」が未策定だったという事実だ。
自治体にとって災害ごみの「対応マニュアル」といえる災害廃棄物処理計画は、災害時のごみの量の推計方法や収集運搬方法、広域処理の詳細などを事前に決め、被災直後、1週間後…と段階ごとの対応を想定しておくもの。これにより対応を可視化でき、作業の効率化も期待できる。
その必要性は阪神大震災ですでに指摘されていた。
■大型処分場必要
阪神大震災当時、被災地では災害ごみが約1450万トン発生。広域のごみを受け付ける大型処分場や臨海部の広大な未使用地があったため、ごみの仮置き場や処分先はある程度確保できたが、それでも1割にあたる約144万トンの処理を県外に要請した。