平成の日本の治安を根底から脅かした地下鉄サリン事件から25年。事件では13人が死亡し、6千人近くが重軽症を負った。事件当時、オウム真理教の信者だった女性が、教団にのめり込んでいった経緯を語り、「他人事と考えてはいけない」と訴えた。
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「遠いところで起きた事件じゃない。時代を超えて、繰り返される可能性もある」。元信者の50代女性は、かつての自分と現代の若者に、類似点をみる。
幼少期から人とのコミュニケーションが苦手で、1人で過ごす時間が多かった。いじめられた時期もあったが、共働きの両親は自分に時間を割いてくれず、手も上げられた。孤独感は社会に出ても募った。
「つらかったね」。20代なかば、職場の先輩に「心がすっきりする」と誘われて訪ねた教団施設で、支部長を名乗る人物に出会った。時折、仏教の考え方を持ち出し「あなたはそのままでいい」と親身に言葉をかけてくれた。居場所が見つかった-。建物に「オウム」と書かれていたのが見えたが、後に家族に告げずに出家した。教団が地下鉄サリン事件を起こす直前の時期のことだ。
山梨県の旧上九一色村(現富士河口湖町、甲府市)にある教団施設「サティアン」に入り、教団の教えを念仏のように唱える日々。「理想郷」の実現のためには殺人も正当化する教義も理解した。当時を「夢の中にいた」と表現し、マインドコントロール下にあったことを認める。
警視庁などによる強制捜査後、東京都内の道場などを転々とした女性は、日本脱カルト協会顧問で僧侶の楠山泰道さん(72)と出会い、心を完全に取り戻した。
一方で、核家族化が進み、若者を中心に対人関係が希薄になってきた現代社会。オウムのようなカルトが再び台頭する素地が整ってきたと感じている。女性は、「親や友人より先にカルトが自分のために泣いてくれたら、自分と同じように気を許してしまうかもしれない。家族や隣人に声がかかるかもしれず、決して他人事と考えてはいけない」と訴える。
楠山さんは、別の元信者の男性から「麻原元死刑囚は初めて僕を認めてくれた、お父さんだった」と聞かされたことが忘れられない。「承認欲求は誰にでもあるが、地域社会や家族がそれを受け止め切れなかった結果だ」としたうえで、「カルトは世の中の不安を栄養剤にして増殖するもの。今の社会にも、その材料がいっぱいある」と指摘した。(加藤園子)