1980年代初頭、ファッション界はパリ・コレクションでかつてない衝撃を受けました。それは、日本のデザイナー、川久保玲氏(コム・デ・ギャルソン)と山本耀司氏(ヨウジヤマモト)による「黒の衝撃」です。黒を基調とし、従来の美意識を覆す革新的なスタイルは世界中で注目を浴び、日本のファッションが世界に影響を与え始めた時代の幕開けとなりました。この時代、日本では別のファッションムーブメント、いわゆるDCブランドの隆盛がありました。本稿では、この80年代日本のファッションシーンの光景を追います。
川久保玲氏(コム・デ・ギャルソン創始者)のポートレート写真。1980年代の日本のファッションムーブメントを語る上で重要な人物。
1980年代日本を席巻した「DCブランド」ブーム
1980年代の日本は、いわゆるバブル景気に沸き、空前の好景気を謳歌していました。土地価格が高騰し、多くの人が経済的な豊かさを実感した時代です。このような背景のもと、人々のファッションへの関心も高まり、特に「ブランド物」を身につけることがステータスとなり流行しました。この時代を象徴するのが「DCブランド」です。DCブランドとは、「デザイナーズ&キャラクターズブランド」の略称で、80年代を中心に日本のファッション業界で絶大な人気を博したアパレルブランド群を指します。明確な定義はありませんが、個々のデザイナーの個性が強く打ち出されたブランドが多いのが特徴でした。
ブームを彩った主要DCブランドとその足跡
DCブームの火付け役:BIGIと菊池武夫
DCブランドブームを語る上で欠かせないのが「BIGI」です。デザイナーの菊池武夫氏は、BIGIの立ち上げに深く関わり、当時のファッションシーンに大きな影響を与えました。彼はBIGIだけでなく、「バルビッシュ」や「ハーフムーン」といったブランドも手がけました。1985年にはBIGIを離れ、ワールド社へ移籍。「TAKEO KIKUCHI」など自身の名を冠したブランドを次々と立ち上げ、現在も日本のファッション界の大御所として活躍しています。BIGIもTAKEO KIKUCHIも、今なお多くの人に知られるブランドです。
NICOLE:松田光弘が生み出した多様なブランド群
次に、松田光弘氏が創業した「NICOLE(ニコル)」も、80年代の代表的なDCブランドの一つです。1967年創業と比較的歴史があり、「NICOLE」を中心に、「マダム・ニコル」「ムッシュニコル」「ニコルクラブ」など、幅広い年齢層や性別に対応する多様なブランドを展開しました。特筆すべきは、松田氏が日本人デザイナーとして初めてニューヨークにブティック「MATSUDA」をオープンさせたことです。1983年にはニューヨークコレクションにも参加するなど、国際的な活動でも知られています。
物議を醸しながら生き残ったコムサ・デ・モード
そして、「コムサ・デ・モード」をはじめとするコムサ系ブランドです。当時のDCブランド群の中では後発組であり、ある意味で「コム・デ・ギャルソン」と名前の響きを似せるという、意図的な戦略により、当時から物議を醸すこともありました。しかし、多くのDCブランドがブームの終焉と共に姿を消す中で、コムサ系ブランドは現在も高い知名度を保ち、生き残っています。この事実から、彼らのマーケティングや時代の捉え方が巧みであったことがうかがえます。(※1、※2参照)
1980年代の日本のファッションシーンは、「黒の衝撃」で世界を驚かせたコム・デ・ギャルソンやヨウジヤマモトのような先駆的なデザイナーの存在と、国内で一世を風靡したDCブランドブームという、二つの側面を持っていました。これらのブランドやデザイナーは、日本のファッション文化を豊かにし、その後の世代に大きな影響を与えました。時代の移り変わりと共に多くのブランドが変遷しましたが、その残した足跡は日本のファッション史において重要な一章となっています。
※1 1980年代の雑誌記事には、コムサに関する率直な記述も見られます。
※2 上記の他に、コシノジュンコ、大川ひとみのミルク、アトリエサブ、カンサイヤマモト、ピンクハウスなども代表的なDCブランドとして挙げられます。コム・デ・ギャルソン、ヨウジヤマモト、イッセイミヤケがDCブランドとして区分されることもあります。
【参考資料】
とあるショップのてんちょう『教養としてのハイブランド フツーの白シャツが10万円もする理由』(彩図社)