人気グループTOKIOが31年の活動に突如幕を下ろし、株式会社TOKIOも廃業を発表しました。発端はメンバーである国分太一氏のコンプライアンス違反の発覚でしたが、事案公表からわずか5日後の解散という異例のスピード決定は、世間に大きな驚きを与えています。この短期決断の背景には、一体どのような事情やメンバー間の知られざる人間関係があったのでしょうか。
グループ解散と株式会社TOKIOの廃業
事の発端は6月20日、日本テレビが国分太一氏のコンプライアンス違反を発表し、同時に株式会社TOKIOが無期限活動休止を発表したことです。そこからわずか5日後の25日、TOKIOは公式サイトでグループの解散を正式に発表しました。1994年のデビュー以来、30年以上にわたる歴史を持つ人気グループの突然の終焉に、芸能界関係者も驚きを隠せませんでした。ある芸能関係者は、「不祥事自体は重大でも、グループや他のメンバーとは無関係な国分氏個人の過ちです。それだけにまさか解散するとは予想外でした」と語っています。
TOKIO解散発表、メンバー5人が揃っていた頃のグループ写真
松岡昌宏が語った解散理由
グループ解散発表の2日後、メンバーの松岡昌宏氏は主演舞台のリハーサル後に行われた取材で対応しました。彼は解散を決断した理由について、「日テレの会見を見て、これ以上TOKIOを名乗るわけにはいかないなと判断した」と説明。さらに、「株式会社TOKIOを設立した時、あと1人でも欠けることがあれば終わりと決めていた」「ファンのみなさまも“またかTOKIO”と。限界だなと感じました」と、グループ名の存続が困難になったことや、過去のメンバー脱退経験からくる心境を明かしました。松岡氏によると、解散は24日までに城島茂氏と話し合って決め、国分氏には電話で伝えたとのこと。また、コンプライアンス違反の内容についても「聞いていない」と述べていました。
異例のスピード決断に隠された真実
しかし、なぜTOKIOはこれほど早いタイミングで解散を決断したのでしょうか。前出の芸能関係者は、松岡氏が詳細を知らないと主張しながらも、わずか数日で解散という重い判断を下し、国分氏に電話一本で伝えたというのは「相当不自然」だと指摘します。「ある程度のことは把握していたと考えるのが普通の見方。しかし、知っていると言えば問われ、答えられないとなると隠蔽と取られる恐れがある。表向きは何も言えないと言わざるを得なかったのだろう」と推測します。
さらに、今回の事案はセクハラであると見られており、日テレの福田社長もコンプラ違反が複数あると会見で述べています。関係者は「それはわかっているだけで複数ということ。まだ日テレも把握しきれていない被害があり、被害者の中にはすでに会社を辞めた人もいる可能性がある。報道されているよりさらに酷いコンプラ違反を行っていた可能性もゼロではない」と指摘。このような状況で、TOKIO側の対応が甘いと見られれば、新たな告発が出てくる恐れがあり、いわゆる「Me too」運動に発展すれば、国分氏個人の問題に留まらず、今度はTOKIO全体の判断、城島氏や松岡氏の責任も問われる事態になりかねません。
それを防ぐための「一番重い解散という判断」だったのではないか、というのが関係者の見立てです。「そうすればTOKIOの名にもう傷はつきません。そもそも、城島氏も松岡氏も、TOKIOの看板がなくてももう十分に活動していける。実際、今回の件で彼らの責任を問う声は皆無ですし、被害者が出たはずの『ザ!鉄腕!DASH!!』ですら番組継続となっていますから」と語ります。逆に言えば、TOKIOを存続させたところで、たった2人のグループで活動することに大きな意味を見出せず、彼らにとってはTOKIOを残すことにはプラス面よりもデメリットの方がはるかに大きかった、ということなのです。
今回のTOKIOの解散は、単なるメンバーの不祥事というだけでなく、今後のさらなるリスクを回避し、残されたメンバーやグループ名自体を守るための、苦渋かつ戦略的な決断であった可能性が示唆されています。長年の歴史に幕を下ろすことになった背景には、公式な理由だけではない、より複雑で現実的な判断があったと言えるでしょう。