週刊新潮の長期連載『墓碑銘』で、6月25日に亡くなった松崎昭雄氏が取り上げられた。松崎氏は、安倍晋三元総理大臣の妻である安倍昭恵氏の父であり、森永製菓の元社長を務めた人物だ。その生涯は、日本の財界の名門・森永家と、政界の重鎮・安倍家を結ぶものだった。
森永製菓元社長で安倍昭恵氏の父、松崎昭雄氏の肖像
森永製菓との深いつながり
1987年、当時中曽根康弘総理の後継者として目されていた安倍晋太郎氏の次男、晋三氏(当時32歳)の結婚は大きな話題となった。相手は8歳年下で森永製菓の松崎昭雄社長の長女、昭恵氏だった。披露宴は東京で900人を招待して盛大に行われ、地元山口でも催された。
安倍家が政界の名門であるなら、松崎家は森永製菓の伝統を長く支えてきた家系だ。森永製菓は1899年に創業。松崎昭雄氏は、創業者の森永太一郎氏と共に草創期を支え、2代目社長を務めた松崎半三郎氏の孫にあたる。さらに、昭雄氏の妻である恵美子氏は、3代目社長の森永太平氏の次女であり、森永家と松崎家は100年以上にわたり、同社の経営中枢を担ってきたのだ。
松崎昭雄氏は1933年東京生まれ。立教大学経済学部を卒業後、1955年に森永製菓に入社した。1960年に結婚し、1女1男をもうけた。
1987年の安倍晋三氏と昭恵氏の結婚式の写真
1983年に森永製菓の社長に就任した翌年、グリコ・森永事件という未曽有の事態に巻き込まれた。現金要求の脅迫状が届き、青酸入りの森永製品が店頭に置かれるという衝撃的な事件だった。
グリコ・森永事件での対応
ジャーナリストの小宮和行氏は、当時の松崎氏についてこう語る。「事件で売り上げが激減し、大幅減産に追い込まれても、会社が持ちこたえたのは、社長が淡々としていたからでしょう。昭雄さんは穏やかで地味な方で、余計な発言をしなかった。」混乱の中で冷静に対応した松崎氏の姿勢が、会社の危機克服に貢献したと言える。
安倍晋三氏と昭恵氏の出会い
奇しくも、晋三氏と昭恵氏の交際が始まったのも、グリコ・森永事件が発生した1984年だった。
二人を引き合わせたのは、安倍家と長年親交のあった元山口新聞東京支局長の濱岡博司氏だ。濱岡氏は、「(晋三氏の母である)洋子さんに良い人はいないかと頼まれ、電通の友人に相談したところ、昭恵さんの名前が挙がってきたのです」と語っている。当時、昭恵氏は聖心女子専門学校を卒業し、電通でアルバイトのような仕事をしていた。
濱岡氏は二人の最初の待ち合わせについて、「待ち合わせ場所に晋ちゃんと一緒に私もいました。ところが、昭恵さんは現れない。なんと50分も遅れてきたのです。それでも、晋ちゃんは彼女を良いと感じ、すっかり惚れてしまったようでした」と振り返る。この遅刻が、後の総理大臣夫人との運命的な出会いの始まりとなったエピソードだ。
松崎昭雄氏は、森永製菓の要として、また安倍昭恵氏の父として、日本の財界と政界を結ぶ位置にいた。特にグリコ・森永事件という困難な時代に会社を率いたリーダーシップは特筆される。