「何者かにならなきゃ」という焦燥感に駆られると、私たちは手軽な承認や、表面的に「成長している」と感じられる感覚にすがりたくなります。しかし、その“努力”が実は、内面を深くすり減らし、真の幸福から遠ざける「擬似成長」である可能性を、心理学が指摘しています。努力しているはずなのに、なぜか苦しさがつきまとうのはなぜでしょうか?この一見ポジティブに見える「成長」の幻想が、いかに私たちの精神を蝕むのかを、著名な心理学者マズローの視点から深く掘り下げていきます。本記事は、加藤諦三氏の著書『不安をしずめる心理学』(PHP研究所)の一部を参考に、現代社会に潜む「偽りの成長」の実態に迫ります。
焦燥感に駆られ、外的な評価を求める人のイメージ
擬似成長とは何か?マズローが語る「偽りの成長」
「擬似成長」という概念は、著名な心理学者アブラハム・マズローが提唱したものです。一般的に「成長」は肯定的に捉えられますが、マズローは「擬似」という言葉を冠することで、それが「本当の成長ではない、偽りの成長」であることを強調しました。これは、満たされていない内なる欲求を、あたかも満たされているかのように見せかけ、自己を欺くことによって得られる表面的な適応や進歩を指します。
例えば、子どもが心の中に様々な欲求を抱えながらも、親の期待に応えようと自身の感情を抑え込み、親の言う通りに行動するケースが挙げられます。たとえ内面の欲求が満たされていなくても、すべてが満たされているかのように思い込もうとする自己欺瞞の状態です。このような行動は外見上は「成長」や「適応」として評価されるかもしれませんが、内面では真の成長が阻害されているのです。マズローは、このような状態を「極めて危険な基礎の上に立っている」と表現し、社会的に成功しているように見えたり、適応しているように見えたりする人が、実際には「危険な土台の上に立っている」可能性があることを警告しています。
「模範的な生徒」の悲劇:内面が置き去りにされたケース
「擬似成長」の典型的な例として、社会を震撼させるような犯罪を犯した学生が、事件発覚後に「模範的な生徒だった」と報じられる事例があります。見知らぬ人を殺害するような凶悪犯罪でさえ、報道機関が「模範的な生徒」と表現することは、多くの人々にとって驚きに値します。親や教師の指示に従い、学校生活では無遅刻無欠席を貫くといった外形的な基準から見れば、確かに彼らは「模範的」だったかもしれません。
しかし、そうした生徒たちは、まさしく「擬似成長」の典型だったのです。彼らは外見上は順調に成長しているように見えながらも、その内面では全く成長が進んでいなかった。表面的な適応と引き換えに、自己の感情や欲求と向き合うことを拒否し、結果として視野が狭く、柔軟性を欠いた人間性を形成してしまいます。彼らの内面は置き去りにされ、健全な精神発達が阻害された状態にあったのです。
中高年の自殺に潜む「擬似成長」の影
「擬似成長」の概念は、中高年の自殺という社会問題の理解にも役立ちます。中高年層は人生経験が豊富で、心身ともに最も円熟している時期であると一般に考えられます。彼らは社会の中核を担い、懸命に働く年代ですが、もし内面的な困難を克服する能力が十分に育っていない場合、社会的に責任ある行動をとっているように見える人でも、突然自ら命を絶つ選択をすることがあります。
このようなケースにおける努力は、往々にして他人よりも優れている自分を見せるため、あるいは外部からの評価を得るためのものであったと考えられます。外からの賞賛や成功が目的となってしまい、自身の内面の声や真の欲求を無視し続けた結果、彼らの努力はもはや「不幸になるためだけにする努力」へと変質してしまったのです。不幸から逃れたいと願うならば、こうした「擬似成長」に繋がる努力のあり方を見直す必要があります。世の中には、他者に優位に立とうとして、本来は嫌いな仕事であっても無理に「成長」しようとする人が少なくありません。こうした人々は、警戒心が強く、他者と心の触れ合いを持つことが難しい傾向にあります。
「最も聡明な少年たち」の苦悩:外見と内面の乖離
アメリカのABCニュースの番組で、ドラッグ問題を特集した際に、「ドラッグによって自殺した子どもたちに『Best and Brightest(最も聡明で優秀な少年たち)』が多い」という報告がありました。これは、非常に知的で将来を嘱望されていた子どもたちが、ドラッグの過剰摂取によって命を落としているという衝撃的な内容でした。
外部から見れば「最も聡明な少年」と称される彼らも、その内面では計り知れない苦痛を抱え、自身の真の欲求が満たされていない状態でした。彼らの輝かしい外見とは裏腹に、心の奥底では深い孤独や不満が渦巻いており、まさにマズローが指摘した「危険な土台の上に立っている」状態だったのです。これは、個人の努力や成功が外的な評価に偏り、内面的な充実や自己理解が伴わない場合に、いかに深刻な結果を招きうるかを示す痛ましい例です。
擬似成長を乗り越え、真の自己成長へ
「擬似成長」とは、満たされない内面の欲求を無視し、外部からの評価や期待に応えることで得られる「偽りの成長」です。これは一時的な安心感をもたらすかもしれませんが、長期的には心に大きな負担をかけ、時には悲劇的な結末を招く危険性をはらんでいます。外見的な成功や社会的な適応を追求するあまり、自身の心の声に耳を傾けず、内面的な成長を怠ることは、不安定な土台の上に人生を築くことと同意義です。
真の成長とは、自己の欲求を認識し、それを受け入れ、健全な方法で満たしていくプロセスの中にあります。他者との比較や承認欲求に囚われるのではなく、自分自身の価値観に基づいた行動、内面の充実、そして困難に直面した際の回復力や適応力の獲得こそが、持続可能な幸福へと繋がる道です。今一度、ご自身の「努力」が、真に内面を豊かにするものであるか、それとも「擬似成長」の罠に陥っていないか、深く見つめ直すことが重要です。
参考文献
- 加藤諦三『不安をしずめる心理学』(PHP研究所)