「黒髪ボブはウケが良くて、会場がワーッと沸いた」日本人女性初のプロボディビルダーが語る、国際大会で良い点をとる“日本っぽい演出テクニック”


【美しすぎる】日本人女性初のプロボディビルダーになった飯島ゆりえさんの鍛え上げられた「逆三角形」の肉体をもっと見る(写真多数)

 日本人女性初のプロフェッショナル・ボディビルダーにして、現在は画家として活躍する唯一無二のキャリアを持つ。

 飯島ゆりえさんが、ボディビルを始めたのは1982年。グラフィックデザイナーとして働きながら筋肉美を求め、89年には日本人女性初となるプロのボディビルダーになった。現在、ボディビルは細分化されたことで、後にも先にも、“女性プロボディビルダー”と呼べる人物は、飯島さんしか存在しない。

 いかにして二つとない轍を切り拓いたのか――。当時を振り返ってもらった。(全3回の2回目/ 続きを読む )

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グラフィックデザイナーの仕事との両立

飯島ゆりえさん(以下、飯島) お金がすっからかんになったので、グラフィックデザイナーに復職しました。と言っても、第一に練習がしたいから、午後から仕事ができることが条件。その代わり、13時から19時まではみっちり働きますと、面接でも言い切りました。幸い、池袋にあるデザイン会社が、「その条件でもいいので来てくれ」ということで、お世話になることにしました。

――事務所を経営されている方も、「ボディビルをしている」という理由で交渉されるとは思っていなかったでしょうね(笑)。

飯島 かもしれない(笑)。午前中は、池袋にジムがあったので、そこに通って、それからデザイン事務所へ。19時まで仕事をして、その後は御徒町のジムに通う。毎日、その繰り返しでしたね。

――飯島さんは、趣味と仕事の両立がとても上手だと感じるのですが、どんな視点があることが望ましいと思われますか?

飯島 グラフィックデザイナーとして働いていたけど、あくまで主体はボディビル。本心は、「仕方がないから仕事をしている」という感覚です。それが、結果的に両立という状況になっていただけで、言い換えるなら、好きなことに重きを置いていたから仕事も続けられた。もう一つ加えるなら、グラフィックデザイナーという手に職があったから、それを売りにできたところもありますね。一芸を持っていたからこそ、多少のわがままも言えた。面接時に、過去の作品を持って行って、「私が作りました」と伝えたら、「その条件でもいいのでぜひ」って(笑)。



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