幼い頃の容姿への心ない中傷、特に教師からの言葉が引き金となり、「不登校」そして「引きこもり」を経験した一人の男性がいます。元人気バンドのメンバーであり、現在は美容家として活躍するヒィロさん(42歳)の半生は、多くの示唆に富んでいます。体重70キロの少年時代、いじめに苦しみ、4年もの間社会から身を引いた彼が、いかにしてその状況を乗り越え、人生を劇的に変えることができたのか。本記事では、彼が不登校に至った壮絶な過去と、その中で直面した家族との葛藤に焦点を当て、インタビューの一部をお届けします。(全2回の1回目)
小学生時代から始まった苦悩:いじめと心への影響
ヒィロさんは、小学4年生の頃までは、自らを「イケてる人生」と捉えていたと言います。実家の隣で祖父が開業医を営んでおり、将来は跡取りとして大切に育てられました。大手塾に通い、常に成績は上位をキープし、医師になるという明確な目標を持っていました。しかし、兄が父親に反発する姿を見てきたため、自分だけは家族の期待に応えなければならないという、強いプレッシャーを無意識のうちに感じていたのかもしれません。
当時、食欲旺盛だったヒィロさんにとって、祖父母や両親が作ってくれるじゃがバターや揚げ餅などの美味しい食べ物が、唯一のストレス発散方法でした。家族は彼がいくら太っても「可愛い」と言ってくれ、それが彼にとっての安らぎでした。しかし、小学5年生になった頃から、クラスメイトたちから容姿をからかわれたり、いじめを受けるようになります。
担任教師からの決定的な言葉
引きこもり時代のヒィロさん氏。いじめと孤独に苦しんだ少年期を振り返る。
数ある苦痛の中でも、ヒィロさんが最もつらかったと語るのは、担任の先生からの執拗な嫌がらせでした。その決定的な出来事は、マラソン大会の日に起こります。どうしても参加したくなかったヒィロさんは、両親に頼み込み、欠席させてもらいました。しかし、翌日、担任の先生から浴びせられた言葉は「太ってるからサボったんでしょ」という、心ないものでした。
友達から「デブ」とからかわれることは、幼いながらも「子供だから仕方ない」と割り切ることができたと言います。しかし、教師という立場からの言葉は、まるで鋭い刃物のように胸に突き刺さりました。それまで抱えていた勉強へのプレッシャー、そして友人や教師からのいじめによって張り詰めていた心の糸が、この一言でプツリと切れてしまったのかもしれません。その日を境に、彼は小学4年生の終わりから中学3年生までの約4年間、一切学校に行かなくなってしまったのです。
不登校の始まりと両親の反応
突然、息子が「学校に行きたくない」と言い出したことに、ヒィロさんのご両親は大きな衝撃を受けたことでしょう。父親は、ヒィロさんの髪をつかんで引きずり回し、なんとか学校に登校させようとしました。「不登校」という言葉自体がまだ社会に広く認識されていなかった時代です。当時の親としては「なぜ自分の息子が」と恥ずかしい思いをされたでしょうし、ヒィロさん自身も、学校に行けない自分を情けなく感じていたと言います。
登校を拒否し続ける息子と親の葛藤
しかし、ヒィロさんが泣き叫びながらも頑として登校を拒否し続けたため、両親も次第に諦めるしかありませんでした。学校に行かなくなった彼が、その後どのように日々を過ごしていたのか。その後の彼の人生を大きく変えることになるきっかけとは何だったのでしょうか。
ヒィロさんが経験した「不登校」と「引きこもり」の期間は、彼にとって壮絶なものでした。教師からの心ない言葉が引き金となり、4年間もの間、学校という社会から離れてしまったのです。次回のインタビューでは、彼がこの苦しい期間をどのように乗り越え、いかにして新しい人生を切り開いていったのか、その詳細に迫ります。