釜本邦茂氏が死去、81歳 メキシコ五輪銅メダルの立役者、日本サッカーのレジェンド逝く

サッカー元日本代表で、1968年メキシコ五輪における銅メダル獲得の原動力となり、日本サッカー界に多大な貢献を果たした釜本邦茂氏が、10日に大阪府内の病院で死去しました。享年81歳でした。

釜本邦茂氏がストライカーとして活躍した現役時代の姿釜本邦茂氏がストライカーとして活躍した現役時代の姿

日本サッカーの礎を築いた偉大なストライカー

京都市出身の釜本氏は、京都・山城高校から早稲田大学へと進学し、在学中に早くも日本代表に選出されるなど、その才能を開花させました。卒業後は、当時の日本サッカーリーグに所属していたヤンマー(現在のJリーグ・セレッソ大阪)でプロとしてのキャリアをスタートさせました。

国際舞台では、1964年東京五輪と1968年メキシコ五輪の両大会に出場。特にメキシコ大会では、日本のエースストライカーとして輝かしい活躍を見せ、7得点を挙げて大会得点王に輝きました。この活躍が、日本サッカー史上初となるオリンピックでの銅メダル獲得に大きく貢献。また、日本代表の国際Aマッチでは、男子歴代最多となる75得点という驚異的な記録を樹立し、その決定力は世界に名だたるものでした。

ヤンマーにおいても、1984年に現役を引退するまで、リーグの年間最優秀選手賞と得点王をそれぞれ7度も獲得する偉業を成し遂げ、通算202得点という圧倒的な記録を残しました。これらの功績は、日本のサッカーリーグの歴史に深く刻まれています。

引退後も日本サッカー界に貢献

現役引退後も、釜本氏は日本サッカー界への情熱を燃やし続けました。1993年のJリーグ開幕時には、ガンバ大阪の初代監督を務め、新時代の日本サッカーを牽引しました。また、日本サッカー協会では副会長や顧問といった要職を歴任し、その豊富な経験と知識をもって、日本サッカーの発展に尽力しました。

2005年には、その輝かしい功績が称えられ、日本サッカー殿堂入りを果たしました。釜本氏の生涯は、まさに日本サッカーの歴史そのものであり、その偉大な足跡は、多くの人々に感動と希望を与え続けています。

サッカー元日本代表として日本サッカー界に貢献した釜本邦茂氏(2020年撮影)サッカー元日本代表として日本サッカー界に貢献した釜本邦茂氏(2020年撮影)

釜本氏の遺志を継ぐ日本サッカーの未来

釜本邦茂氏は、その卓越した得点能力とリーダーシップで、日本サッカーを国際舞台へと押し上げた真のレジェンドです。メキシコ五輪での歴史的快挙から、Jリーグ創成期の指導、そして協会での要職に至るまで、彼の存在は常に日本サッカー界の中心にありました。

釜本氏が築き上げた礎は、今後の日本サッカーがさらに飛躍するための確固たる土台となるでしょう。彼の遺した功績と情熱は、未来の選手たち、そしてサッカーファンに受け継がれ、日本サッカーのさらなる発展へと繋がっていくに違いありません。

参考文献