うつむく官邸の深層:日米交渉後の求心力喪失と秘書官たちの葛藤

日本を動かす官僚の街・霞が関から漏れ伝わる“マル秘”情報をお届けする『文藝春秋』の名物コラム「霞が関コンフィデンシャル」。その最新号は、日米関税交渉の合意という外交的成果にもかかわらず、首相官邸に漂う重苦しい空気と、求心力を失いつつある首相、そして苦悩する秘書官たちの現状を鮮やかに描き出しています。この深層レポートは、政権運営の根幹に関わる重要な変化を示唆しており、日本の政治情勢に関心を持つ人々にとって必読の価値があります。

日米関税交渉合意、しかし晴れない官邸の空

日米関税交渉がようやく合意にこぎ着けた時、首相官邸にはわずかながらも安堵の光が差しました。普段は冷静沈着な井上博雄首相秘書官(平成6年、旧通産省)でさえ、トランプ米大統領が日本側の合意案を受け入れたとの報に接し、「さすがに高揚した様子だった」(官邸筋)といいます。経団連をはじめとする産業界との調整役を担う井上氏にとって、2月の交渉開始以来、胃の痛む日々が続いていました。自動車追加関税25%を譲ろうとしない米国の姿勢にいら立つ首相に対し、井上氏は「貿易交渉は長引くこともある」と、感情的にならずに説いてきた経緯があります。その博識ぶりと読書好きの首相との波長が合ったことで、彼は腹心として重用されてきました。

日米関税交渉合意にもかかわらず、うつむく官邸と重い空気が流れる様子日米関税交渉合意にもかかわらず、うつむく官邸と重い空気が流れる様子

求心力失う首相と機能不全に陥る秘書官グループ

しかし、日米関税交渉の合意という朗報も束の間、官邸全体の雰囲気は重いままです。衆院選で負け続け、求心力を失った首相の周りでは、秘書官や官邸官僚たちの表情も冴えません。リーダー格の中島朗洋秘書官(平成5年、旧大蔵省)もその例外ではなく、財務省の後輩からは「首相を支えきれなかったという思いが強い。自分を責めているところがある」との懸念の声が上がっています。また、外務省出身で北米局の安全保障条約課長を務めていた貝原健太郎秘書官(平成8年)は、安全保障に精通する日米安保条約の専門家として出番を待っていましたが、その打席が回ってくることはありませんでした。秘書官グループにとって不運だったのは、官邸主導の政権運営を確立する前に、衆院選で負けて少数与党となり、政局を制御する力が弱まってしまった点にあります。この状況は、官邸機能の低下を如実に示しています。

族議員への権力移行と側近の役割への疑問

首相の求心力低下は、政権の権力構造にも変化をもたらしています。最近では、官邸よりも族議員の顔色を窺う官庁が増えているという指摘があります。その代表例が農林水産省です。コメ価格が高騰しても、政府備蓄米の低価格での放出に抵抗したのは、「官邸よりも農林族議員との二人三脚を選んだから」(自民党中堅)とみられています。これは、政策決定プロセスにおいて、官邸の意向よりも特定分野の族議員の影響力が強まっていることを示唆しています。こうした状況に対し、「首相が行き詰まっている時にアイデアを出すのが側近の役割なのだが、十分に機能していたのか」(官房長官経験者)と、官邸機能、特に側近の役割に対する疑問の声も聞かれます。

首相官邸が直面するこの苦境は、日米関税交渉の成功の裏側で進行していた、日本の政治における権力バランスの変化を浮き彫りにしています。求心力を失った首相と、その状況下で十分な機能を発揮できない秘書官グループ。そして、官邸よりも族議員に目を向ける官庁の増加は、今後の政権運営における大きな課題となるでしょう。リーダーシップのあり方と側近の機能が改めて問われる局面を迎えています。

参考文献

  • 「霞が関コンフィデンシャル」文藝春秋2025年9月号より抜粋・再構成