田中真紀子氏が喝破する自民党の「経綸なき凋落」と田中角栄氏の遺訓

自由民主党は昨年の衆院選、今年の都議選、参院選と主要な選挙で3連敗を喫し、ついに衆参両院で過半数を割り込むという前例のない苦境に立たされています。この未曽有の事態を受け、元首相・田中角栄氏を父に持ち、自身も自民党議員として日本初の女性外相を務めた田中真紀子氏(81歳)は、現在の自民党の姿をどのように見ているのでしょうか。

自民党の現状と未来について語る田中真紀子元外務大臣自民党の現状と未来について語る田中真紀子元外務大臣

自民党の相次ぐ敗北に見る「経綸なき政治家」の現状

田中真紀子氏は、政界引退後も現役の自民党議員と交流があり、彼らとの親交を深めていると言います。しかし、今の政治状況を憂慮する中、国を統治し、国民を導く「経綸(けいりん)」、すなわち国家を治めるための大きな方策や手腕を持つ政治家が見当たらないと指摘しています。自民党が衆参両院で過半数割れという重大な局面を迎えても、多くの議員が「僕は議席を守っているから」と、あたかも他人事のように振る舞っていると氏は感じています。個々の議員が自身の議席維持を最優先する姿勢は、国民の期待とは乖離しているかもしれません。

政治家の問題意識や心意気が希薄になった背景には、現代の恵まれた環境があるのかもしれません。田中角栄氏の時代は戦後復興期であり、財政再建や国民所得の増大といった国家的な課題が山積していました。当時の政治家には、天下国家についての明確なビジョンがあり、演説には並々ならぬ熱量が込められていました。角栄氏は国内外を奔走して人と会い、深夜まで資料を読み込むなど、根っからの仕事人間として国家の未来を切り開くことに心血を注いでいたのです。真紀子氏自身が議員になった際、「父のような政治家はいるか」と問われるたびに、「いません」と答えるしかなかったと語っています。

若き日の田中真紀子氏と父・田中角栄元首相。政治教育の背景を物語る。若き日の田中真紀子氏と父・田中角栄元首相。政治教育の背景を物語る。

父・田中角栄氏による「独立した人間」としての教育

田中角栄氏は、娘の真紀子氏に対し、独特の政治教育を施しました。真紀子氏が中学生になると、「明日は大事な会合があるからついてきなさい」「海外から賓客が来るから一緒にもてなしなさい」などと、あらゆる機会に同行させました。試験が近いと言っても「そんなものよりためになる」と聞き入れず、実社会での経験を積ませたのです。

幼くして兄を亡くした真紀子氏は、女の子として可愛がられるよりも、「一人の独立した人間」として育てられました。角栄氏は宴席で真紀子氏を紹介する際、「これは女の形をしていますが、男だろうが女だろうが人間として社会で通用するよう、目的を持って教育しています」と公言していたほどです。真紀子氏の結婚が決まった際も、夫となる直紀氏に対し、「真紀子に掃除や料理は教えていないから、焦がしたりしても文句を言われては困るよ」と釘を刺した逸話は、角栄氏が娘を型にはめることなく、自立した存在として尊重していたことを物語っています。ちなみに真紀子氏自身は「本当はお料理をしている時間がこの世で一番好き」だそうです。

国民が田中真紀子氏に寄せる「復帰待望論」とその真意

昨年、あるメディアの「次の首相になってほしい女性政治家」というアンケート企画で、田中真紀子氏の名前が3位に挙がるなど、停滞する自民党政治を打破してくれる“大物”として、政界復帰を待望する国民の声が少なからず存在します。散歩中やタクシーの運転手から「もう一度国会議員になってください」「田中角栄みたいな政治家が今の日本には必要だ。代わりに娘を総理にしよう」といった声を聞くことも少なくないと言います。

田中角栄氏が政界にいた当時は批判も多く、苦難の道を歩んだとされています。その功績が認められるのは、氏の生前ではありませんでした。今になって真紀子氏がその恩恵を受け、国民から高く評価されることはありがたい反面、戸惑いもあると語ります。現在の真紀子氏は主婦であり、この時代に合った、未来志向の政治家が新しく台頭してくるべきだと考えています。

田中真紀子氏の言葉は、現代の自民党、ひいては日本政治全体が直面するリーダーシップの課題と、かつての政治家が持っていた国家への奉仕精神を浮き彫りにしています。国民が求めるのは、自身の保身ではなく、真に国を思い、未来を描ける政治家の出現なのかもしれません。

参考文献