インド初の高速鉄道プロジェクトにおいて、日本の新幹線方式が採用されてから約10年。長きにわたる交渉と幾多の困難を乗り越え、日印両国は日本製新型車両「E10系」の導入に向けて協力することで一致しました。これは、単なるインフラ整備に留まらず、両国の友好関係の象徴とも言える一大事業であり、一時「始まって以来最大の危機」とまで評された局面を経て、新たな段階へと進みます。しかし、その道のりは決して平坦ではなく、未来に向けた課題も依然として残されています。
「創造的解決」への道のり:E5系からE10系へ
プロジェクトの初期段階では、現行の「E5系」車両の導入が既定路線とされていました。しかし、その後の世界情勢やサプライチェーンの問題からE5系の生産停止が決定され、車両価格は高騰、納入の遅れも避けられない状況となりました。当初約1.8兆円と見積もられた総事業費は膨張の一途を辿り、その約8割が日本の円借款で賄われることになっていたため、日本側にとっては看過できない問題でした。
この状況に対し、インド側はより割安な国産車両の投入を検討していることが明らかになり、日印間の交渉は一時暗礁に乗り上げました。日本側は、巨額の資金を投じて敷設した線路を日本製車両が走らなければ、プロジェクトの成功が問われかねないという強い懸念を抱いていました。加えて、インドネシアの高速鉄道事業で土壇場で中国に受注を奪われた苦い経験も重なり、今回こそは失敗が許されないという思いが広がりました。
昨年9月、当時の岸田文雄首相とインドのモディ首相が米国で会談した際、モディ首相は「日本側の厳しい状況は理解した。ここは『創造的解決』でいきましょう」と持ちかけたと報じられています。インド側も新幹線への国民の期待は大きいものの、採算性への懸念からコスト高騰には厳しい姿勢を示しており、日本側には更なるコスト削減努力を求める声も上がっていました。
日印関係の危機と「起死回生」の一手
「(高速鉄道の)日本色が薄くなったとしても、日印関係は大事だ」。インド側からのこのメッセージは、日本政府内に強い危機感をもたらしました。「日本製が走らなければ、日印関係がおかしくなる」。事態打開に向けて、日本の担当者は何度もインドを訪れ、モディ首相への直接ルートを探るなど、政治的な解決策を模索しました。車両導入方針の隔たりにより、昨年末に予定されていた日印首脳会談も延期される事態に陥りました。
このような緊迫した状況の中で、日本側が打ち出したのが、東北新幹線の次期車両である「E10系」を両国でほぼ同時期に導入するという「起死回生の一手」でした。具体的には、2027年中の部分開業時にはインド製車両を暫定的に運行させ、E10系が準備でき次第、順次置き換えていくという併用案が提案されました。
インド高速鉄道プロジェクトへの導入が期待されるJR東日本東北新幹線次期車両「E10系」のイメージ。
この柔軟な提案に対し、一時かたくなだったインド側も前向きな姿勢に転じました。将来的には、今後建設される他の高速鉄道区間においても、競争入札を前提に日本からの参入を促す方針を示すなど、両国の協力関係は再び活発化の兆しを見せています。
未来への懸念:ハード面とソフト面のバランス
今回の合意は、日印両国にとって大きな一歩であることは間違いありません。しかし、プロジェクトの成功には、依然として解決すべき課題が残されています。日本側が特に懸念しているのは、インド側が車両や線路といったハード面の整備に重点を置く一方で、運行に不可欠な人材育成や維持管理といったソフト面を軽視しているのではないかという点です。
日本の関係者は、新幹線の真の価値は、運行速度だけでなく、その卓越した安全性と定時性にあると指摘します。そして、その安全性と定時性を支えているのが、高度な技術を持つ人材による運行管理、保守、そして徹底した安全教育です。インド高速鉄道プロジェクトにおいても、これらのソフト面の重要性を深く理解し、人材育成と維持管理体制の構築に力を入れることが、長期的な成功には不可欠です。
日印の強力なパートナーシップのもと、この歴史的なプロジェクトが真の意味で成功を収め、両国の友好関係を一層深めることを期待します。
参考文献
- 時事通信. “印高速鉄道、日印が新型車両導入へ 一時「最大の危機」―交渉の軌跡”. Yahoo!ニュース, 2025年8月30日. https://news.yahoo.co.jp/articles/d9ba5014dc18f9968859cc882ad85bee01766a94