「毒母」に人生を破壊された息子:結婚後も続く呪縛、そして自己破産へ

「毒親」による虐待が社会問題となる中、その壮絶な実態と、大人になってなお苦しみ続ける人々の姿に注目が集まっています。本記事は、毒母によって人生を破壊された井川さん(50代、仮名)の過酷な人生を描く連載の最終回です。前編では、彼が幼少期に受けた両親からの凄まじい精神的・肉体的虐待について詳述しました。後編となる今回は、その後の人生において、苦難を乗り越え伴侶を得て結婚し、子どもにも恵まれながらも、未だ「毒母の呪縛」から逃れられない井川さんの道のりを深掘りします。彼の経験は、虐待が個人の人生にどれほど深く、長く影を落とすかを私たちに問いかけます。

家を飛び出し、辿り着いた「居場所」

高校生になっても、父親の腕力は井川さんを凌駕していました。ある喧嘩の際、父親がオレンジジュースの瓶を手に殴りかかろうとした瞬間、井川さんは父親の狂気を改めて思い知らされます。「このまま家にいたら、父に殺されるか、僕が父を殺すのか」。まさに瀬戸際の状況でした。

親の勧めで進学した大学で、井川さんはある宗教団体に勧誘され入信します。大学4年で実家を出て教団の寮に転がり込みました。6畳に3人での雑魚寝、共同トイレという長屋生活でしたが、彼にとっては実家にいるよりもはるかに快適な空間でした。長年の親からの暴力による人間不信に陥っていた井川さんにとって、教団の人々の優しさは、吸い寄せられるように彼を惹きつけました。ここでようやく、長年抱えていた人間不信の一つが解消されたのです。

社会問題化する毒親による子どもの虐待のイメージ写真社会問題化する毒親による子どもの虐待のイメージ写真

新たな苦難と挑戦:教団から社会へ

井川さんは22歳から10年間、その教団で働きました。家賃、光熱費、食費は無料でしたが、給与は月に2万円。年間休日ゼロ、一日16時間労働という過酷な環境でした。社会保険はなく、国民年金は全額免除され、手取りの2万円は携帯電話代と衣服代で消えていきました。それでも、そこは井川さんにとって初めて心から安らげる「居場所」だったのです。しかし10年が経つと、次第に教義への疑問を抱くようになり、教団のルールに背いたことで無一文で放り出されてしまいます。

その後は住み込みで新聞配達の仕事に就きましたが、体が悲鳴を上げ辞職。アパートを借りる資金を作り、新聞配達の寮を出た後は、互助会の営業や印刷会社などで働きました。しかし、どれもいわゆる「ブラック企業」で、手取りは17万円にも満たず、サービス残業や昇給もない劣悪な環境でした。

一時的な成功と転落:自己破産に至るまで

井川さんは現状を打破するため、「せどり」という転売ビジネスを始めます。これが彼の人生に一時的な転機をもたらしました。当時は100円で仕入れた本が5000円、時には1万円で売れることもあり、月に30万円から40万円を稼ぎ出す成功を収めます。6、7年続けているうちに、月に100万円を稼ぐ富裕層になるという欲が出てきた井川さんは、高額な自己啓発セミナーに次々と参加するようになります。しかし、その結果、気づけば借金は800万円にまで膨れ上がり、どうしようもない状況に追い詰められ、最終的に自己破産を申請するに至りました。

井川さんの人生は、幼少期の虐待が大人になってからの人間関係、仕事、そして経済状況にまで深く影響を及ぼし続ける現実を示しています。彼が結婚し、子どもをもうけた後もなお「毒母の呪縛」に苦しんでいるという事実は、虐待の傷がいかに根深く、克服が困難であるかを物語っています。この壮絶な経験は、私たちに虐待の恐ろしさと、被害者への継続的な支援の必要性を強く訴えかけています。

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