純烈リーダー酒井一圭が語る、ファンとの「死ぬまで推す」絆:ドキュメンタリー映画公開記念秘話

ムード歌謡グループ「純烈」の初のドキュメンタリー映画「純烈ドキュメンタリー 死ぬまで推すのか」(岩淵弘樹監督)が5日、全国で公開されました。この作品は、昨年11月に開催された純烈初の日本武道館コンサートの舞台裏と、会場に駆けつけた熱心なファンたちの姿に密着した注目の内容です。幾多の苦難を乗り越え、“近すぎる距離”でファンと共に歩んできた彼らの特別な絆について、リーダーの酒井一圭(50)氏に独占インタビュー。映画は5日からTOHOシネマズ日比谷他で1週間限定公開され、ファンの間で大きな反響を呼んでいます。

純烈ドキュメンタリー映画「死ぬまで推すのか」より、ステージで感極まり涙するリーダー酒井一圭。ファンとの深い絆を映し出す象徴的なワンシーン。純烈ドキュメンタリー映画「死ぬまで推すのか」より、ステージで感極まり涙するリーダー酒井一圭。ファンとの深い絆を映し出す象徴的なワンシーン。

「男1号」との出会い:純烈を支えた最初の絆

純烈が今日あるのは、初期から支え続けてくれたファンたちの存在抜きには語れません。酒井氏は、グループを最初に「推してくれた」ファンのことを今でも鮮明に覚えていると語ります。「もちろん覚えていますよ。残念ながらもう亡くなってしまったんですけど、“男1号”という方がいたんです」。

その「男1号」は当時50代で、特に戦隊ヒーローものをこよなく愛する人物でした。純烈が九州のハウステンボスで初めて歌った際、初めてイベントに訪れた20代の女性とその母親に対し、「男1号」は純烈のメンバーの個性やグループの魅力を熱心に説明し、母娘の質問に答えていたといいます。驚くべきことに、その後この娘さんと「男1号」は交際を始め、やがて結婚することに。娘さんが小田井涼平のファンで、「男1号」は酒井氏のファンという、まさに純烈が紡いだ縁でした。酒井氏は当時を振り返り、「『結婚式に俺ら歌いに行くよ』って言って、当時のメンバー6人全員で出席して『よせばいいのに』なんかを歌ったんです」と、その特別な思い出を笑顔で語りました。

深まる絆:支え合いから別れ、そして遺志

結婚後も「男1号」との関係は続きました。「男1号」は接骨院の先生であったため、純烈のスケジュールが過密になり、友井雄亮が腰を痛めて動けなくなった際には、楽屋まで来て鍼治療をしてくれたこともあったそうです。まさにグループの「仲間」として、陰ながら支え続けてくれました。

しかし、ある時を境に「男1号」の姿を2年ほど見かけなくなり、酒井氏は「離婚したのかな?病気になったのかな?」と案じていたといいます。そんな中、昨年11月の日本武道館公演の直前、「男1号」から電話がありました。彼は泣きながら「酒井さん、どうしても僕、見に行けない」と告げたのです。その時初めて、酒井氏は彼が病気であることを知ります。慌てて病院を尋ね、偶然近くにいたことから病室を訪れた酒井氏。そこには奥さんもいました。酒井氏は「全部ネタバレも言うわ」と、口頭で武道館公演の内容を「ひと足先に」伝えたといいます。「これでもう武道館公演見たからな」と語りかけると、「男1号」はボロボロと涙を流しながら聞き入ってくれたそうです。

会った後、しばらくして「男1号」は昨年亡くなりました。しかし、その絆は途切れることはありませんでした。奥さんは純烈のオフ会に顔を見せ、お母さんも白川裕二郎のファンとして、先日もイベントに足を運んでくれたといいます。

ファンへの感謝:純烈が語る「近すぎる距離」の真髄

「男1号」の物語は、純烈とファンとの間に築かれた深い信頼関係と愛情の象徴にすぎません。酒井氏は、「それぞれいろんな思い出がありますよ」と、他のファンとの心温まるエピソードも明かしました。健康センターで活動していた頃からの常連の「おばちゃん軍団」が、支配人に「また純烈を呼んであげなよ」と頼んでくれたおかげで、二度目の出演が実現したこともあったそうです。

「本当に僕らは良いお客さんに恵まれた。心優しい人が多くて、感謝しかないです」と、酒井氏は改めてファンへの深い感謝を述べました。純烈が歩んできた道のりは、まさにファンとの「近すぎる距離」で紡がれた物語です。ドキュメンタリー映画「死ぬまで推すのか」は、その唯一無二の絆の真髄を映し出し、多くの観客の心に感動を呼び起こすでしょう。

参考資料