病や老いは時に家族の絆を深く揺るがし、複雑な選択を迫ります。親の残り少ない命の日々において、私たちは何を受け入れ、どこまで見送るべきなのでしょうか。本稿では、作家・堀香織氏が、家族の絆を試すような老いた父との別れ、特に三番目の妻との「老老離婚」を通して、現代の高齢者介護と成年後見人制度の役割について深く考察します。
「三度目の正直」は叶わず:父と三番目の妻の突然の離婚
2018年7月10日、父の三番目の妻であるヨウコさんから「お父さんと離婚する!」との突然の電話が入りました。結婚して20年、「ずっと世話したい」と語っていたはずのヨウコさんとの関係は、父の脳梗塞後の変化によって亀裂が生じていました。
右半身麻痺で身体が自由に動かせなくなった父の苛立ちは募り、耳の遠いヨウコさんとの間にコミュニケーション齟齬が生じることで、平穏だったはずの日々は次第に荒れ始めたのです。父は「俺はヨウコに殺される!」「おまえと離婚して、東京の香織と住むんや!」とまで激高し、ケアマネジャーによる介護施設入居の提案も拒否。ヨウコさんは「香織、お父さんを説得して。私、離婚したくない」と電話口で泣き崩れました。
病と老いがもたらす家族関係の破壊と娘の葛藤
病気や老いというものは、身体だけでなく、時には家族関係までをも徹底的に壊してしまう恐ろしい力を持っています。まるで油圧ショベルが家を潰すかのように、一度壊れた関係は二度と元の形には戻らないことを痛感しました。
しかし、当時の私は薄情なことに、この二人のために何もしませんでした。父を宥めに会いに行くことも、ケアマネジャーと相談することも。申し訳ない気持ちはありましたが、それ以上に母の介護で頭がいっぱいだったのです。複数の親の介護が重なる遠距離介護の負担は、計り知れないものでした。
「生物学上の父」にとっての「人生最後のケツモチ」
翌2019年6月13日、ヨウコさんから離婚決定の連絡。父は言語障害もあり、その心中を測りかねました。約1ヵ月後、父のケアマネジャーから電話があり、離婚手続きの進行、父の県営住宅への転居、私への保証人依頼、成年後見人選任への同意が求められます。
両親の離婚から約40年、父にとって最も近い身内は実の娘である私となりました。私にとっては単なる「生物学上の父」である彼が、人生最後の局面で「ケツモチの娘」として私を頼る現実に複雑な思いがよぎります。受話器越しに私の心情を察したケアマネジャーは、「お気持ちお察しします」と慰めてくれました。
親の病と老い、そして介護の現実を思わせる温かい手のイメージ
専門家「成年後見人」による新たな支援の形
しかし、実際に父の介護や生活支援の大部分を担ったのは私ではありませんでした。同年9月、家庭裁判所に提出する「成年後見人の親族同意書」が届き、私は署名・押印して返送しました。
父とヨウコさんの「老老離婚」成立後、77歳で独り身となった父には「成年後見人」が選任されます。預貯金などの財産管理や、身体の状態に応じた福祉サービス・医療の手配を担うのは、社会福祉士や介護福祉士など複数の資格を持つプロフェッショナル、市原明子さんでした。親の判断能力が低下した際の専門的支援として、成年後見人制度は現代社会で不可欠な存在です。
まとめ
堀香織氏の経験は、老いと病が家族にもたらす影響、そして現代介護の複雑な現実を浮き彫りにします。親が高齢化し、長年のパートナーとの関係が崩れ、「人生最後のケツモチ」としての子供の役割が問われる事例は少なくありません。血縁だけでは解決できない問題に対し、成年後見人制度のような専門的支援は、高齢者と家族双方の負担を軽減し、適切なケアを可能にします。これは、家族の絆が試される現代において、社会全体で高齢者を支える新たな仕組みの重要性を示唆するものです。
参考資料
- 堀 香織 著, 『父の恋人、母の喉仏 40年前に別れたふたりを見送って』(光文社)
- Yahoo!ニュース(Source link)