石破茂首相、ついに辞任表明 参院選大敗と党内圧力の末

身内からの「石破おろし」に直面していた石破茂首相(自民党総裁)は7日、官邸での会見で辞任を正式に表明した。参院選での大敗を受け、強い退陣圧力を跳ね返して続投を模索してきたが、総裁選前倒しの動きが党内で勢いを増す中、打開策を見いだせなくなった。衆院解散・総選挙も真剣に検討されたものの展望は開けず、権力者としての毅然とした責任を果たしきれないまま、1カ月以上にわたる「政治空白」を生む形となった。最終的には、小泉進次郎農相や、過去に自発的な辞任経験を持つ菅義偉元首相の進言を受け入れたとされる。これにより自民党は後任を選ぶ総裁選の準備に入る。5度目の挑戦でようやく掴んだ悲願の総理総裁の座を、石破首相はわずか1年あまりで手放すこととなる。

参院選大敗の責任を取り辞任を表明する石破茂首相参院選大敗の責任を取り辞任を表明する石破茂首相

異例の会見と次期総裁選への不出馬表明

日曜日に辞意表明会見という異例の日程を選んだ石破首相は、終始淡々とした表情で語った。「このたび私は自民党総裁を辞することといたしました」と述べ、次期総裁選には自らは出馬しない考えも明確に示した。この表明は、8日に予定されていた総裁選前倒しに向けた意思確認結果の公表を前にしたものだ。参院選大敗後も意地で続投し、責任の取り方を曖昧にしてきた石破首相に対し、党内の反発は当初の首相サイドの想定をはるかに超えて拡大していた。総裁選の前倒しは不可避の情勢であり、もし8日に意思確認の手続きが強行されていれば、「親石破」と「反石破」の間での決定的な党内分断は避けられない状況だった。

辞任の背景:党内分断回避と「万策尽きた」現実

石破首相は2日の党両院議員総会で「地位に恋々としない」「しかるべき時に責任を判断する」と述べていたが、この日の会見では、米国政府とのトランプ関税交渉で合意書を交わしたことを「一つの区切り」とし、「今こそがしかるべきタイミング」であると主張した。交渉中は辞意を「口が裂けても言えなかった」とも述べ、関税交渉に最後まで携われなかったことに対して「心残り」「道半ば」といった言葉を繰り返した。また、総裁選前倒しの意思確認が予定通り行われれば、「党内に決定的な分断を生みかねず、それは私の本意ではない」とし、それを回避するために「身を引くという苦渋の決断をした」と説明した。

しかし、首相は最終局面まで、続投の可能性を模索しており、特に衆院解散・総選挙の道を探っていたことは否定できない。会見でも「いろんな考えがあったことは否定しません」と認めたが、実際に解散しても勝利の展望が見通せないのが現実だった。関税交渉の区切りや党内分裂回避を理由に挙げたものの、実際は「万策尽きての追い込まれ辞任」(自民党関係者)であったとの見方が強い。

1ヶ月以上の「政治空白」と物価高対策への影響

参院選での大敗から1カ月以上が経過し、国民が強く望む物価高対策なども進まない状況が続いていた。「もっと早く辞めていたら?」という批判的な質問に対して、石破首相は「(続投で)政治空白があったとは思っていない」「不眠不休、土日返上、全力で努力した」と主張し、自身の職務遂行に一点の曇りもないとの姿勢を崩さなかった。

悲願の総理就任からわずか1年余り

昨年、5度目の挑戦にして悲願の総裁の座に上り詰めた石破氏だが、その1年あまりの任期中に「石破カラー」を十分に発揮することはできず、自身の迷走が招いた「石破おろし」の動きは、党内に決定的な分断を生む寸前まで拡大した。鳥取県出身者としては初の総理総裁として、地元からの期待は非常に大きかったはずだ。この地元への思いを問われた石破首相は、「どうしたら良かったのかな? という思いはあるが、やるべきことは、私自身、これ以上はできなかったというほどにできたと思う。誇るつもりもないし、自画自賛するつもりもないが、多くの方の力で、1年やることができた」と振り返った。会見の最後には「これからまた地元のみなさま方と新しい地方から新しい日本をつくることに、まい進したい」と述べ、わずかながら笑顔すら見せた。

参考文献