自民党初の女性総裁候補として、また国の安全保障政策に深く関わる高市早苗氏が、長らく日本社会で議論されてきた「スパイ防止法」の制定を強く推し進めている。令和6年5月27日、高市氏が会長を務める自民党「治安・テロ・サイバー犯罪対策調査会」から首相官邸へ提出された提言には、外国勢力によるスパイ行為を取り締まる法律の導入が明記された。「日本はスパイ天国」という指摘はデジタル化が進む現代においても根強く、その歴史を紐解けば、戦後から昭和にかけて最も多く明るみに出たスパイ事件は北朝鮮関係であった。本稿では、高市氏の提言の背景にある日本の脆弱な現状を浮き彫りにしつつ、昭和の時代に日本警察が水面下で繰り広げた北朝鮮スパイとの緊迫した諜報戦の一部を紹介する。
冷戦期、日本の水面下で暗躍した北朝鮮スパイ網
朝鮮戦争の前後から北朝鮮スパイの暗躍は活発化し、警察庁警備局の資料によれば、昭和25年の「第一次北鮮スパイ団」検挙を皮切りに、昭和28年の「第二次スパイ団」、昭和30年の「第三次スパイ団」、昭和33年の「第四次スパイ団」の検挙など、その数は約50人にも及んでいる。昭和40年代から50年代初頭にかけても、北朝鮮スパイをめぐる摘発が相次いだ。今日の「拉致問題」が北朝鮮による特殊工作の象徴として認識される一方で、当時の工作員が日本で担っていた任務は多岐にわたり、単なる情報収集に留まらなかった。冷戦下の日本は、東アジアの地政学的な要衝として、情報機関によるエスピオナージ(諜報活動)の舞台となり、公安警察は国家の安全保障を脅かすこれらの特殊工作員たちと熾烈な情報戦を戦い続けてきたのである。
冷戦時代の北朝鮮スパイが無線機で指令を受信する様子
羽田空港で繰り広げられた緊迫の摘発劇
ハンブルク行き航空機を目前に迫る包囲網
昭和48年12月22日、師走の土曜日午後9時過ぎ、羽田空港国際線ロビーは、年末の慌ただしさとは裏腹に、張り詰めた空気に包まれていた。行き交う乗客の喧騒に紛れながら、複数の捜査員の視線が一人の男に集中していた。ドイツ・ハンブルク行きの航空機に搭乗する予定のその男の情報は、すでに警察によって掴まれていた。搭乗手続きを終え、待合室へと向かう40歳過ぎの男。そのがっちりした体格、グレーのオーバー、茶色の背広は、事前に入手していた「人着(人物特徴)」と完全に一致する。ようやく日本を脱出できるという安堵感からか、男の表情には微かな笑みが浮かんでいるように見えた。ボストンバッグを携えた男が待合室に足を踏み入れた、その瞬間が「着手」、すなわち逮捕の合図だった。
偽名「鈴木」と隠し持つ「水山義夫」の素顔
「警察の者ですが」。黒革の手帳の表紙を提示した捜査員に、男はぎょっとした表情で振り返った。首を動かすと、左右の背後にそれぞれ捜査官が立ちはだかっている。男は気づいていなかったかもしれないが、その周囲には、さらに直近防護の捜査員たちが目を光らせていた。「あなたは、日本名では“水山”さんですね?」捜査員の問いかけに対し、男はかろうじて「いや、違います。私は“鈴木”ですよ」と答える。だが、捜査員は冷静だった。「ええ。“鈴木”というのは、あなたが持っている旅券の名前ですよね」。その言葉に、男の手が微かに震えるのを、背後に立つ捜査員は見逃さなかった。これ以上の言い逃れは不可能と判断した捜査員は、「すぐそこまでご同行願います。バッグの中身も調べさせてもらいます」と告げた。男は4年前の昭和44年10月、青森県西津軽郡の海岸から北朝鮮の工作船で秘密裏に上陸した、当時47歳のスパイA(日本名・水山義夫)だった。
「チェリー」の煙草とオーバーに仕込まれた機密
空港内に用意された尋問室に入ると、スパイAはすぐに「たばこを吸いたい……いいでしょうか?」と申し出た。捜査員が上着のポケットから自身のショート・ホープを取り出し、「どうぞ」と勧めると、Aはそれを拒否した。「そのたばこは辛いのでいらない。私のバッグに入っているチェリーが吸いたい」。この不自然な発言に、捜査員たちは互いに目配せをした。全員が頷き、直感的に確信した。「ボストンバッグの中のチェリーに、何か重要な秘密が隠されている……」。捜査員はAの要求を冷静に退けた。「ボストンバッグの中のものはダメです。チェリーがご希望なら、今すぐ買ってきます。ここでお待ちください」。売店で買ってきたチェリーを渡されたAは、ぎこちない仕草でたばこを吸い始めた。一服したいというよりも、明らかに動揺を隠すための行為に見えた。捜査員がボストンバッグの中からA自身のチェリーを取り出すと、その「カン」は当たった。一本のチェリーの中に、セロハン紙状の薄い紙に5桁の数字がびっしり書き込まれた「乱数表」が巧妙に収められていたのだ。さらにAのオーバーも入念に調べ上げられ、右前裾の裏芯地に沿って縫い付けられた包帯状のガーゼの中から、丸められた「暗号表」が発見された。これは、いかに巧妙かつ緻密な工作活動が展開されていたかを示す証拠に他ならなかった。
結論
高市早苗氏が提言する「スパイ防止法」の制定は、このような過去の歴史的背景と、現代における日本の安全保障上の脆弱性という認識に基づいている。昭和の時代に繰り広げられた北朝鮮スパイとの諜報戦は、日本が情報機関の標的となり得る現実を如実に示しており、乱数表や暗号表を用いた彼らの巧妙な手口は、現代のデジタル技術を用いたスパイ活動にも通じる脅威を内包している。防諜体制の強化は、日本の安全保障と国民の生命・財産を守る上で不可欠であり、今回の法整備への動きは、冷戦期から続く「スパイ天国」という不名誉なレッテルからの脱却を目指す、重要な一歩と言えるだろう。
参考資料
- 警察庁警備局の資料
- Yahoo!ニュース / デイリー新潮 記事「北朝鮮スパイと水面下で対峙し続けた日本警察」(2025年10月26日公開)





