高市早苗政権の発足後に行われた各社の世論調査で、国民民主党の支持率が急落し、半分程度にまで落ち込んでいることが明らかになりました。これは、支持率が急回復した高市総裁率いる自民党とは対照的な結果です。野党第一党である立憲民主党からも首相統一候補として有力視されていた国民民主党の玉木雄一郎代表が、重大な局面で決断を下せなかった、あるいは下さなかったことが、この支持率低迷の主要因とされています。永田町では、人気急落と囁かれる玉木氏に対する現在の評価が注目を集めています。
国民民主党の玉木雄一郎代表、連立政権の決断迫る
高市政権発足と国民民主党の選択肢
これまでの経緯を簡単に振り返ります。自民党総裁に高市氏が選出された10月4日以降、自民党は国民民主党に対し、連立入りの可能性を含めた協力・連携を打診しました。しかし、玉木氏は即答を避けました。その一方で、立憲民主党も野党統一の首相候補として玉木氏を視野に入れ、日本維新の会や国民民主党との連携を模索する動きを見せていました。玉木氏は公言こそ「首相になる覚悟はある」と述べたものの、表向きは立憲民主党との間でエネルギーや安全保障政策に関する一致点を見出せないことを理由に、この連携案は「破談」となりました。
こうした状況の中、自公連立から公明党が離脱し、自民党が苦境に立たされる事態が発生します。しかし、その後、自民党と日本維新の会との連携協議が急速に進展し、最終的に連立に漕ぎ着けたとされています。
永田町で囁かれる玉木氏への評価と自民党の提案
政界関係者の話によると、立憲民主党の安住淳幹事長や日本維新の会の藤田文武共同代表、遠藤敬国対委員長は、玉木氏を担ぎ上げようとする一方で、「玉木氏のことは気に入らない」という点で一致していたといいます。彼らはもともと互いをよく知る間柄でしたが、考え方、スタンス、性格のいずれもが合致していなかったと指摘されています。そのため、当初から相当な無理があり、連携がうまくいく可能性は低いと見られていましたが、「大同団結」のためには背に腹は代えられない状況だったようです。
一方で自民党は、玉木氏に対し、財務相としての入閣を含めた連携を打診していました。自民党側は「政策実現のために何でも好きなように暴れてほしい」と、まさにラブコールを送る状況でした。首相の座か、それとも財務相という重要ポストか。この時期、玉木氏が「スーパーハイテンション」な状態であったことは、複数の関係者が証言しています。
「どの船にも乗れない」決断の裏側
「ハイテンションだった」という証言は、玉木氏がその時期、少なくとも政界の渦中にいるという自覚と高揚感を抱いていたことを示唆しています。玉木氏の心中を推し量ると、自らが政界の中心にいるという強い意識があったでしょう。しかし、現実的な選択肢として、寄せ集め内閣で首相を務めて短命に終わる可能性、あるいは財務相などの重要閣僚として入閣し、「年収の壁」などの国民民主党独自の政策を実現できたとしても、その実績が首相の指示に基づくものと見なされ、自身の存在感を示すまでには至らない、というジレンマがあったと考えられます。玉木氏がどれほどの将来を見据えていたかは不明ですが、様々な選択肢の間で深く悩んでいたことは間違いありません。
複数のシミュレーションを経た結果、玉木氏は最終的に「どの船にも乗れない」という判断を下したのでしょう。この時期、彼の発言の中でも特に反発を呼んだものがあります。それは、公明党が連立を離脱した後の「自公連立が前提だ。国民民主を加えたら(衆院過半数の)233議席を超える前提での議論だった。自民と国民民主を足しても過半数にいかないので、これまでの連立の議論にほぼ意味はなくなった」という発言でした。この発言は、国民民主党の立ち位置を一層曖昧にし、支持率低迷に拍車をかけた一因と見られています。
結論
国民民主党の玉木雄一郎代表が、政権与党および野党第一党からの連立・協力提案に対し、最終的な決断を下せなかったことは、党の支持率低迷に直結する結果となりました。自らが政界の中心にいるという自覚を持ちながらも、首相の座か重要閣僚の座かという二択の間で葛藤し、「どの船にも乗れない」という結論に至ったことは、国民民主党の今後の戦略に大きな影を落とすでしょう。玉木氏の一連の決断が、日本政治の舞台においてどのような波紋を広げていくのか、引き続き注目されます。
Source link: https://news.yahoo.co.jp/articles/d7e7a9bef0f66f638e53e7085b54d4859554cbdc





