2009年、関西地方で発生した痛ましい9歳女児虐待死事件は、社会に大きな衝撃を与えました。かつて社長令嬢として育ち、幸せな家庭を築いたはずの松井奈緒(当時34歳、仮名)は、なぜ愛する娘への暴力を恋人(当時38歳、仮名)に見過ごし続け、“虐待母”へと変貌してしまったのでしょうか。本記事では、「こいつはええねん」と冷酷に言い放ち、真冬のベランダに少女を放り出した恋人男性の残虐な行為と、それに加担し続けた母親の責任、そして事件の全貌を追います。娘の体に刻まれた無数のアザと、恋人の「死んでもええんや」という言葉の裏にあったのは、想像を絶する日常でした。
ベランダで発見された幼い命と隠蔽工作
事件当日、古賀(恋人男性)はベランダで冷たくなっていた次女・京子ちゃん(仮名)を発見しました。美容院に行っていた奈緒を自宅に呼び戻し、脈のない娘を見た奈緒は泣き叫んだものの、すぐに「自分たちが警察に逮捕される」「虐待がバレるのはまずい」と、古賀と共に隠蔽を企てます。二人は「ガソリンをかけて燃やそうか」などと話し合い、最終的には古賀が知っていた土葬の習慣がある土地の共同墓地に京子ちゃんを埋めることにしました。
二人は、警察への届け出を芝居でごまかそうと計画します。翌日の息子の小学校入学式を利用し、奈緒が京子ちゃんを叱って家を出た間に、京子ちゃんが家出したという筋書きでした。帰宅後、京子ちゃんがいなくなったことに気づいた奈緒が、前夫や同級生の母親たちに電話をかけ、その上で警察に捜索願を出すという手はずでした。警察は届け出から3日後には公開捜査に切り替え、京子ちゃんの顔写真や特徴をマスコミに発表。奈緒の前夫や親族は心配し、駅前や商店街で数千枚のビラを配布しました。しかし、自宅から出た京子ちゃんの防犯カメラ映像や目撃情報が一切ないことから、すぐに疑惑は奈緒と古賀の二人に集中します。
冷え切ったベランダに放置された9歳女児のイメージ写真
暴行と飢餓:恋人の残虐な虐待の実態
森本(事件に関与した第三者、仮名)を含む三人は警察の事情聴取を受け、森本が全面的に供述したことで、奈緒と古賀のお粗末な芝居はたちまち崩壊しました。森本の公判での供述は、二人の虐待の様子を克明に示しています。
供述によれば、古賀が京子ちゃんの宿題を見たことをきっかけに、二人の関係は歪んでいきました。宿題が終わるまで食事を与えず、ズルをすれば食事抜き。罰としてベランダや玄関に立たせることも常態化しました。やがて京子ちゃんに与えられる食事は、おにぎり1個、ペットボトルに入った水道水500ml、バナナ1〜2本のみという極端な飢餓状態に陥りました。古賀は「お前の食事はこれだけや。大事に食えや」と冷たく言い放ち、京子ちゃんは「おにぎりが欲しいです」と、まるで物乞いのように懇願する日々でした。夕食の際、京子ちゃんだけは食卓に参加できず、台所に敷かれたレジャーシートの上で正座して食事を取らされていました。
奈緒もまた、京子ちゃんへの愛情を感じさせることはありませんでした。両手で京子ちゃんの頬をつねり上げ、力いっぱい引っ張る行為を繰り返していました。京子ちゃんがうめき声しか出せず、もごもごと話すと、奈緒は「口ないんか!」とさらに強くつねり上げたといいます。
京子ちゃんの体は、虐待の痕跡に満ちていました。太ももが赤紫色に腫れ上がっているのを見た者もいました。次第に髪の毛が抜け落ち、頭頂部が「カッパのよう」になるほどでした。顔もボクサーのように腫れ上がっていたといいます。古賀に対し、森本が「やりすぎやぞ」と忠告すると、古賀は「こいつはかまわへん。死んでもええんや」と吐き捨てたといいます。
事件当日、京子ちゃんを家に残して食事に行った後の出来事についても、森本は詳細に説明しました。
偽装工作の破綻と事件の教訓
この悲惨な事件は、親が子を守るべき責任を果たさず、第三者である恋人の残虐な行為を許容し続けた結果として発生しました。奈緒と古賀による拙劣な隠蔽工作はすぐに破綻し、森本の供述によって二人の虐待の実態が明らかになりました。京子ちゃんの尊い命が奪われたこの事件は、児童虐待の早期発見と介入の重要性、そして社会全体で子どもたちを守る意識を高める必要性を改めて私たちに問いかけています。





