口唇口蓋裂とその合併症により、鼻、唇、耳がなく、心臓に3つの穴が開いた状態で生まれた小林えみかさん(31歳)。これまで20回以上の手術を経験し、現在は口唇口蓋裂の当事者や家族を支援するNPO法人の代表を務めています。日本において口唇口蓋裂の患者は500人に1人と言われ、決して珍しい病気ではないにもかかわらず、未だに差別や偏見が存在するのが現状です。社会の認識を変えたいと活動する小林さんが語る、”見た目”や治療に苦しんだ半生、そして手術への葛藤とその後の希望について、詳しくお伝えします。
高度難聴と補聴器と共に
小林さんは幼少期から高度難聴を抱え、補聴器が手放せない生活を送っています。お風呂と寝る時以外は常に装用しており、仕事のある日は自然に起きられるものの、旅行先や大事な予定がある日はアラームが聞こえないと困るため、付けたまま寝ることもあるといいます。かつて実家の外壁工事があった際、他の家族が耐えられないほどの騒音の中でも、小林さんだけはまったく工事の音に気づかず爆睡していたというエピソードが、その聴力の重度さを物語っています。自身の聴力について、「真上に飛行機が飛んでやっと『あ、飛行機通ったな』と心地よく聞こえる程度」と表現しています。
大災害時など緊急事態が発生した際には、音で異変に気づくことが非常に困難であるという現実にも直面しています。大阪で大きな地震があった際も、緊急地震速報のアラームは聞こえず、振動で気づけたから良かったものの、音による危険察知の難しさを痛感したそうです。
「見た目」を改善するための手術への葛藤
高校生の時、穴しかなかった右耳に耳の形を作る手術を受けることになった際、小林さんには「”見た目”を改善するためだけの手術」に対する深い葛藤がありました。聴力が良くなるのであればどんな手術でも前向きに受け入れられるが、耳の形を作るためだけに2回も、しかも8時間もの大手術を受けなければならないことに悩んだといいます。
この時、ご両親に自身の思いをぶつける中で、家族の絆は一層強固なものになりました。そして最終的に手術を受けることを決断し、今となっては「やってよかった」と振り返っています。
23歳時の小林えみかさん
手術後の変化と新たな発見
耳を作る手術を受けたものの、結果として耳たぶが厚すぎたため、憧れていたイヤリングをすることはできませんでした。同様に、AirPodsのようなシリコン型イヤホンも入らず、現在はヘッドフォンを使用しているとのことです。元々耳たぶがあった左耳も小耳症で形が普通とは異なるため、この問題は両耳に共通しています。
しかし、耳を作ったことで、マスクをかけられるようになり、眼鏡も着用できるようになりました。そして何よりも、寝る時に枕に耳が当たる感覚が新鮮で、「皆こんな感じで寝てるんやな」と、これまで経験できなかった「当たり前」の感覚にワクワクしたと語っています。この小さな変化が、彼女にとって大きな喜びと発見をもたらしました。
小林えみかさんの半生は、口唇口蓋裂という先天性疾患と共に生きる中で直面する身体的、精神的課題、そして社会からの偏見と戦いながら、自分らしい幸せを見つけていく物語です。彼女の活動と経験は、多くの人々にとって、多様な”見た目”や個性を理解し受け入れることの重要性を問いかける貴重なメッセージとなるでしょう。





