日本に「万引きGメン」という概念を作り、その道の“レジェンド”として活躍し続けてきた望月守男さん(79)。最も多いときでは1日で18人もの万引き犯を検挙したというスゴ腕です。
【秘蔵写真】万引きGメンの「必須アイテム」、万引きを防止する“画期的な装置”を公開!
インタビュー前編では、万引きGメンを志したきっかけや万引き犯の特徴、そして店舗で商品ロスが起こる、万引き以外の衝撃的な原因について、59年の歳月のなかで培った経験と膨大なデータをもとに語ってもらいました。
しかし、彼が向き合い続けてきたのは、決して数字やデータだけではありません。そのキャリアの根幹に根づいていたのは、「万引き」という行為の裏に隠された、生身の人間の壮絶なドラマでした。
後編では、望月さんの記憶に深く刻まれた「忘れられない事件」と、人の人生を左右するこの仕事の哲学に、さらに深く迫っていきます。
■今でも忘れられない、とある母娘との対峙
59年というキャリアは、一体どれほどの数の人間ドラマと向き合うことを意味するのでしょうか。
望月さんは、とあるスーパーで万引き犯を1日に3人続けて発見したことを機に、19歳でこの世界へ飛び込みました。全盛期には1カ月で186人という驚異的な数の万引き犯を捕まえてきた彼が、これまで対峙してきた人間の数は、数万人、数十万人ではきかないかもしれません。
その数えきれないほどの事例の中で、今でも鮮明に記憶に残っている光景が2つある、と静かに語り始めました。
1つは、20代半ばの頃に経験した、2歳と3歳の娘を連れた母親の事件です。
「千葉県の柏市にあるスーパーで、みすぼらしい格好をしたお母さんが、何度も子どもたちを試着室に出入りさせていたんです。おかしいな、と注意深く見ていると、案の定、真新しい服を着せたまま店を出たので声をかけました」(望月さん、以下同)
事務所に連れて行くと、母親は「すみません、間違えました」と泣きじゃくるばかり。子どもたちも「ママをいじめないで!」と叫びます。
1時間ほど泣き続けた母親に、望月さんは「あなたは悪いことをする人に見えない。泣きたかったら、涙が枯れるまで泣いたらいいですよ」と声をかけ、静かに待ったそうです。すると……。
■人の命を救う日、そして、奪ってしまう日
「公務員の夫がお金を家に入れてくれず、もう生活が限界だと。せめて死ぬときくらいは子どもに綺麗な服を着せてあげたい、と……。店を出たら、柏駅で飛び込み自殺をするつもりだった、と打ち明けてくれました」






