マニラ邦人射殺事件裁判の闇:フィリピンの銃社会と依頼殺人の実態

今年8月、フィリピンの首都マニラで発生した日本人男性2人射殺事件の裁判が11月12日から現地で始まり、その行方に注目が集まっています。この衝撃的な事件は、単なる強盗殺人にとどまらず、フィリピンの深い闇社会と、金銭で容易に命が奪われるという、日本とは異なる社会構造を浮き彫りにしています。ノンフィクション作家の水谷竹秀氏が、この怪事件の真相と背景にあるフィリピン社会の光と影に鋭く切り込みます。

繰り返される指令と残忍な犯行手口

事件は8月15日深夜に発生しました。タクシーの助手席に乗っていたアベル・マナバット容疑者(当時62)が、電話で弟のアルベルト・マナバット容疑者(当時50)に対し、「カバンを奪え。中には大金が入っている」と指示。被害者の佐鳥秀明さん(当時53)と中山晃延さん(当時41)が乗っていたタクシーが現場に到着し降りた直後、現場で3時間待機していたアルベルト容疑者が背後から接近し、2人の頭部を撃ち抜いた後、共犯者が運転するバイクで逃走しました。アルベルト容疑者はその後、衣類を着替えて足取りをくらませたとされています。

事件直後、兄のアベル容疑者の不可解な行動が地元警察の会見で明らかになりました。同容疑者はタクシーを降りた後、警察に連絡することなく、近くのセブン-イレブンでビールを購入。その後、宿泊先の高級ホテル「ミダスホテル&カジノ」に戻ってチェックアウトしましたが、一緒に宿泊していた2人が射殺されたことはホテル側に一切知らせていませんでした。

動機の深層:強盗ではない「金銭トラブル」の可能性

亡くなった佐鳥さんの所持品からは約4000万円の預金残高が記された通帳が見つかったものの、現金はありませんでした。犯人が奪ったとみられる別のカバンには約10万ペソ(約26万円)が入っていた一方で、被害者が身につけていた高級腕時計は手付かずのままでした。地元警察署長はこうした状況から、「強盗ではなく、金銭トラブルが動機とみられる」と分析。被害者2人が1〜2ヵ月に一度のペースで観光目的で来比していたこと、そして佐鳥さんの背中には刺青が入っていたことも指摘し、犯行は事件前の来比時に計画された可能性があるとの見方を示しました。

実行犯の兄弟は当初、「日本人の首謀者から900万ペソ(約2300万円)で殺害を請け負った」と供述しましたが、実際に受け取ったのは頭金1万ペソ(約2万6000円)のみでした。地元警察は、首謀者がこの兄弟を含む犯行グループに殺害を依頼した疑いがあるとして、日本から派遣された警視庁捜査員と連携し、現在も捜査を続けています。

逮捕後、マニラ市長の元に連行された邦人射殺事件の実行犯2人逮捕後、マニラ市長の元に連行された邦人射殺事件の実行犯2人

過去の「依頼殺人」と蔓延する銃社会

フィリピンではこれまでにも、日本人が標的となった「依頼殺人」が複数発生しています。2014〜2015年にはマニラで多額の保険金がかけられた日本人2人が相次いで殺害され、知人が現地のヒットマンを雇っていた事件がありました。また、2005年にはミンダナオ島で1億円の保険金がかけられた日本人男性が絞殺され、殺人容疑で逮捕された日本人男性がフィリピン人の仲介者に64万円を渡して殺害を依頼したと供述。2001年にはマニラ湾で元郵便局員の男性が刺殺体で見つかり、主犯格の日本人男性が実行犯のフィリピン人に約1万ペソの報酬を渡していたと報じられています。

フィリピン当局幹部によると、「標的にもよるが、ヒットマンがたった1万ペソほどで殺しを請け負うことは実際にある」と語られており、今回の事件で「報酬900万ペソ」が口約束されながら、結果的に実行犯がわずか1万ペソで殺人を犯してしまった背景には、フィリピンが抱える深刻な銃社会の現実があります。フィリピン国家警察のデータによれば、2014年時点で登録銃所持者は約170万人、未登録の不法所持を含めると約390万人に達するといいます。一般人でも警察登録を済ませれば銃の所持・携行が可能で、外国人でも現地の仲介を通せば入手は難しくありません。マニラ首都圏のショッピングモールにはガンショップが軒を連ね、銀行の入り口にはライフル銃を持った警備員が常駐。密造銃も多く出回っており、日本とは異なり、銃が日常のすぐそばに存在することが、「小遣い稼ぎのような感覚」で殺人を請け負うヒットマンを生み出す温床となっているのです。

今回の事件の裁判はまだ始まったばかりであり、実行犯の兄弟は無罪を主張しています。今後の審理で彼らが自白に転じ、事件の首謀者が特定される日は来るのでしょうか。この事件は、フィリピンの社会が抱える根深い闇と、その中で命の価値が軽んじられる現実を、私たち日本人に改めて問いかけています。