出生直後に産院で別の新生児と取り違えられた男性が実親の調査を求めた訴訟で、東京地裁は「出自を知る権利」を認め、都に調査を命じる判決を言い渡した。AERA 2025年5月26日号より。
* * *
「一つ前に進んだ。それはよかった。でも、まだまだこれからです。墨田区や東京都にどう応えていただけるのか」
江蔵智さん、67歳。1958年4月、東京都立墨田産院で生まれ、他の新生児と取り違えられた。46歳のとき事実を知り、以来生みの親との再会を強く望んでいる。
今年4月21日、東京地方裁判所は病院を運営していた東京都に対し、智さんの生みの親について調査を命じた。冒頭は5月初め、判決を受けて本人が語った言葉だ。
小さい頃から、家族の誰とも「似ていない」と言われてきた。
目鼻立ちだけではない。父や弟は寡黙だが、智さんはよく動き、よくしゃべる。父親とは反りが合わず、顔の形が変わるほど叩かれた。父が弟に手を上げるのは一度も見たことがない。笑うところも怒るところも考え方も、家族のなかで自分だけが違う。それが嫌でたまらなかった。
14歳で家を飛び出した。年齢をごまかし、焼き肉屋に住み込んで働き、親に見つかっても帰ることを拒んだ。保護司が営むクリーニング店に居を移し、働きながら中学に通った。出席日数が足らず補習を受け、一人だけ夏に卒業証書を受け取った。
2004年、体調が優れず病院を受診した際、両親と血液型が合わないことを伝えると担当医が関心を抱き、DNA鑑定を受けさせてくれた。結果、両親と智さんの間に親子関係はないことが判明する。産院での取り違え以外に原因は考えられなかった。
「聞いた瞬間、頭の中は真っ白ですよね。怒りと悔しさです」
■14歳で家を出た苦しみ
頭に浮かんだのは、たった14歳という年齢で家を出なければならなかったほど苦しんだ日々だ。
「一言で言うと、DNAの違いでしょう。そのせいで僕は親の言っていることが理解できなかったし、親も僕の言うことが理解できなかったのではないかと思います」