もし生みの親に会えたら「目を見て、話したい」 67年前の赤ちゃん取り違え訴訟、14歳で家を出た苦しみ


【写真】育ててくれた母・チヨ子さん(92)と江蔵さん

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「一つ前に進んだ。それはよかった。でも、まだまだこれからです。墨田区や東京都にどう応えていただけるのか」

 江蔵智さん、67歳。1958年4月、東京都立墨田産院で生まれ、他の新生児と取り違えられた。46歳のとき事実を知り、以来生みの親との再会を強く望んでいる。

 今年4月21日、東京地方裁判所は病院を運営していた東京都に対し、智さんの生みの親について調査を命じた。冒頭は5月初め、判決を受けて本人が語った言葉だ。

 小さい頃から、家族の誰とも「似ていない」と言われてきた。

 目鼻立ちだけではない。父や弟は寡黙だが、智さんはよく動き、よくしゃべる。父親とは反りが合わず、顔の形が変わるほど叩かれた。父が弟に手を上げるのは一度も見たことがない。笑うところも怒るところも考え方も、家族のなかで自分だけが違う。それが嫌でたまらなかった。

 14歳で家を飛び出した。年齢をごまかし、焼き肉屋に住み込んで働き、親に見つかっても帰ることを拒んだ。保護司が営むクリーニング店に居を移し、働きながら中学に通った。出席日数が足らず補習を受け、一人だけ夏に卒業証書を受け取った。

 2004年、体調が優れず病院を受診した際、両親と血液型が合わないことを伝えると担当医が関心を抱き、DNA鑑定を受けさせてくれた。結果、両親と智さんの間に親子関係はないことが判明する。産院での取り違え以外に原因は考えられなかった。

「聞いた瞬間、頭の中は真っ白ですよね。怒りと悔しさです」

■14歳で家を出た苦しみ

 頭に浮かんだのは、たった14歳という年齢で家を出なければならなかったほど苦しんだ日々だ。

「一言で言うと、DNAの違いでしょう。そのせいで僕は親の言っていることが理解できなかったし、親も僕の言うことが理解できなかったのではないかと思います」



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