安倍晋三元総理 没後3年:妻・昭恵夫人の「現在」と知られざる夫婦の絆

安倍晋三元総理が、奈良県で参議院議員選挙の候補者応援演説中に銃撃され、その生涯を終えられたのは2022年7月8日。享年67歳でした。あれからちょうど3年が経過し、奇しくもその時以来となる参院選が幕を開けました。

没後3年を迎えた昭恵夫人の現在

夫の突然の死から3年。昨年は安倍氏の母・洋子さん、そして今年6月には昭恵さん自身の父・松崎昭雄さんが亡くなるという不幸も続きましたが、昭恵夫人(63)の活動は変わらず精力的に行われています。特にこの1年間の動きは注目に値します。昨年末にはアメリカのトランプ大統領と、そして今年に入ってからはロシアのプーチン大統領と相次いで面会を果たすなど、亡き夫が築き上げた要人人脈を受け継ぐ存在として、その圧倒的な存在感を示しています。

安倍元総理の生前、昭恵さんはともすればその奔放な言動が注目を集め、夫とは異なる意見を公に表明することもありました。時に自身の言動が原因で夫が追及される場面もあり、「離婚説」が報じられたことも一度や二度ではありません。しかし、夫婦の絆は周囲の憶測とは異なり、非常に強固なものでした。今年6月9日にも、昭恵さんは自身のX(旧Twitter)にツーショット写真と共に、夫婦の深い結びつきを示すメッセージを投稿しています。

「今日は結婚記念日。結婚して38年。主人のお陰で沢山のことを経験することができました。もっと一緒にしたいことはありましたが、これからもきっと一緒…」

この投稿は、亡き夫への深い愛情と、今もなお共に歩んでいるかのような感覚を表しており、多くの人々に感動を与えました。

「週刊新潮」が報じた事件当日の「不思議夫婦の絆」

「週刊新潮」では事件当時、安倍家の周辺を取材し、二人の間に存在した本当の関係性について深く掘り下げていました。以下に、当時の記事の一部を再録し、知られざる「不思議夫婦の絆」がどのようなものであったかを改めて明らかにします。(以下は、「週刊新潮」2022年7月21日号の再録です。文中の年齢や肩書は当時のままです)

安倍元総理がドクターヘリで搬送された奈良県立医大病院に、銃撃からおよそ5時間半が経過した2022年7月8日午後5時前、昭恵夫人が到着しました。病院に駆けつけた夫人は、「晋ちゃん、晋ちゃん!」と繰り返し安倍氏に声をかけましたが、残念ながら安倍氏は午後5時3分、帰らぬ人となりました。

テロリストによる銃撃を受け、間もなく心肺停止状態に陥り、病院に到着するまでには50分近くの時間が経過していたため、救命は極めて困難な状況だったと見られています。元日本救急医学会会長で東京大学名誉教授の前川和彦氏は、当時の状況について次のように語っています。

「外傷患者で病院到着時に心臓、呼吸が止まり、瞳孔が開いていたら救命の可能性は低いです。心臓が止まって3分も経つと脳細胞が死んでしまうので、心肺停止から時間が経過しているとわかれば通常は蘇生術を長くは行えません。要人の場合、治療を継続するかどうかはさまざまな要素が考慮されると思います。今回は瞳孔が開いていたでしょうし、一般の方なら死亡と判断された可能性がありますが、手を尽くそうとされたのでしょう。昭恵夫人の確認を待って判断することにしたのかもしれません」

安倍晋三元総理の妻、昭恵夫人の現在の活動安倍晋三元総理の妻、昭恵夫人の現在の活動

この前川氏の証言からも、安倍元総理の命を救うための医療チームの懸命な努力、そして最愛の夫に寄り添う昭恵夫人の姿が浮かび上がります。事件当日の緊迫した状況下でも、夫婦の間の深い愛情と信頼関係がうかがえる一幕でした。

まとめ

安倍晋三元総理の没後3年を経て、妻である昭恵夫人は精力的な活動を続け、国際的な要人との交流を通じて、故人が築いた外交的な繋がりを引き継いでいます。生前は対照的な個性を持つ夫婦として様々な報道がありましたが、悲劇を経て、改めて二人の間に存在した「不思議な絆」の強さが浮き彫りになっています。特に、事件当日の病院での一幕や、最近の結婚記念日に関する投稿は、公の場での姿とは異なる、夫婦としての深い愛情と信頼があったことを物語っています。今後も昭恵夫人の活動は、亡き夫の遺志を継ぐものとして、国内外から注目されることでしょう。

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